ミリオンダラー・ベイビー......................................................................
トレーラー暮らしで育ったマギーのたったひとつの取り柄はボクシングの才能。
彼女は名トレーナーのフランキーに弟子入りを志願し、断られても何度もジムに足を運ぶ。
根負けしたフランキーは引き受け、彼の指導でマギーはめきめき上達。試合で連破を重ね、ついに世界チャンピオンの座を狙えるほど成長。
しかし、思いもよらぬ悲劇が彼女を襲った。
2005年のアカデミー賞ほか数々の映画賞を受賞したクリント・イーストウッド監督主演作は、単なる女性ボクサーの物語ではない。
これはボクシングを通じて知り合ったマギーとフランキーの絆の物語。
マギーは亡くなった父の姿を、フランキーは疎遠になっている娘の姿をお互いに重ね合わせ、そこに「家族」を見いだしていく。
しかし、その絆が強固なものになればなるほど、後半マギーを襲う悪夢にフランキーは傷つく。
マギーを永遠に逃れられない苦しみから救い出したいけれど、それは神に背くこと。
イーストウッド監督はボクサーとトレーナーの関係を崇高な愛の物語にまで高めていく。
ひとりの女性ボクサーの人生が、死生観まで考えさせる映画になったのは、イーストウッドの監督としての志の高さだろう。
アカデミー賞では作品、監督に加え、ヒラリー・スワンクが主演女優賞、モーガン・フリーマンが助演男優賞を受賞。役者たちのパフォーマンスにも圧倒される傑作だ。
Amazon(斎藤 香)
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クリント・イーストウッドはアメリカ人なのだろうか?
確かに「ダーティー・ハリー」では、44マグナムをぶっ放し、周囲を破壊しながらも事件解決のみに突進する典型的なアメリカンヒーローを演じた。
クリント・イーストウッド監督の作品を見たのは
「ミスティック・リバー」に続いて二作目である。
この二作を見る限り、典型的なアメリカ人の思考パターンとは大きく差があることを感じる。
冒頭、モーガン・フリーマンのナレーションで紹介されるトレーナーのフランキーの言葉。
「ハートだけのボクサーは負けるに決まっている。
ルールは常に自分を守ること。」
これは
「孫子」に通じる。
これまでのアメリカのボクシング映画---例えば「ロッキー」
典型的なハートだけのボクサーのサクセスストーリーだった。
フランキーが目指すのはそうではない。
またフランキーは名トレーナーでありながら、応急処置や止血の達人でもあった。
例えばバッティングで深い傷を負えば試合続行不可能となり、ボクサーは敗者となる。
フランキーは神業ともいうべき止血の技術でボクサーを勝利に導いていく。
ここで、「アメリカ人だろうか?」という疑問がわくのは、松岡正剛氏の
この書評によれば、アメリカはライフスタイルの国であるということ。
「アメリカではその相対主義を子供のころから叩きこんで、だからこそ、ほれ、どんなライフスタイルでもつくることができるんだという、極端な個人的相対主義を確立した。この刷りこみがアメリカ人に何を派生してしまったかというと、まわりまわっての『われわれには他者はいらない』という信条なのである。」
しかし、クリント・イーストウッドが映画の中で描ききったのは、『絶対主義』と『どうにもならない人間としての悲しみ』である。
『絶対主義』ということは、他の何者にも左右されない『哲学』を持つこと。
『悲しみを理解する』ということは、その哲学をも越える人の感情が生きるということの根底に有ることを心で感じること。
さらに松岡正剛氏によれば、
「アメリカがライフスタイルの国だということは、おそらくアメリカ人もアメリカ論者も、また外国人たちも認めていることだろう。ハリウッド映画が半世紀にわたって、そのことしか描いてこなかったことも、知れわたっている。
このことが何を意味しているかというと、「すべての価値はライフスタイルに帰着する」ということである。価値がライフスタイルにあるとは、思想の価値より、会社の価値より、平和の価値より、ライフスタイルのほうがずっとすばらしい価値をあらわしているということだ。つまりアメリカは、すべての価値に勝る価値として、「アメリカというライフスタイル」を選んだということなのである。」
スタイルとは『外見』にほかならない。
そうではなく、人生においてはスタイルの形成に、言い換えればスタイルを形作る根幹が哲学なのである。
クリント・イーストウッドはアメリカ人として、これを妙な愛国心やいわゆるガンバリとは違う別の次元の問題として東洋人的に理解しているのだと思う。
ただこの映画は、この『哲学』だけでマギーがタイトル戦まで昇りつめるサクセスストーリーではない。
フランキーとマギーがお互いに抱える過去のしがらみから生まれる人間としての悲しみ。
それをお互いに投影し、実の親子、いや恋人と行ってもいいようなつながりを紡いでいく。
最後にフランキーが迫られる決断。
主演女優賞を受賞したヒラリー・スワンク演じる鬼気迫るマギーの最後の時。
フランキーの片腕スクラップを演じる助演男優賞を受賞したモーガン・フリーマン重み。
抑えに抑えた演技がさらに感動を高めていく。
今年一番よかった賊画である。
そして、クリント・イーストウッドはアメリカの抱える問題、
一つは、サクセスストーリーの裏側にあるダーテイーな闇の部分。
トップにのし上がる人間が、どういうことをしているのか?
もう一つは貧困層の人々の心のありよう。
日本人はどうしても貧しい=清い、優しいのようなイメージを抱きがちである。
しかし、アメリカの最貧困層の人間がどのように人を利用し、福祉を利用し、ついには肉親までも自分の生活や快楽のために利用する、いやできる、もはや人とはいえない人間になっているということ・・・
このことも訴えたかったのだと思う。
評価 ★★★★☆