
「墨攻」 写真は主演のアンディー・ラウ
今回の年末年始は実りが多かったかもしれない。
年末に観た「ROME」もこのブログで最初の★★★★★だったし、昨日観たこの「墨攻」から得るものは多かった。
この映画は史実ではなく、フィクションであり、また出来がそうよいわけでもなかった。
しかし、この映画で「墨家」というものを知ることができた。
墨子という名前は、中国の春秋戦国時代の諸子百家として、世界史の授業で習ったが、その思想の内容については、ほとんどというより全く知らなかった。
「墨家」については、本日本を買い込んできたので、研究の上、またシリーズでアップしていこうと思っているが、予備知識として少し。
...............................................................
墨守という。絶対に守り抜くという意味だ。
歴史的には、墨子の死後も師の教えを守りつづけた墨家の言動と態度のことが墨守なのである。
墨家はそれほどに師の墨子を大切にした。
しかし、墨守にはもうひとつの意味があった。それは専守防衛という意味だった。
墨家はたんなる思想集団ではない。
戦国期の思想集団としても、同時期の儒家とは比較にならないほどに体系化された思想と論理をもっていたのだが、そのうえ実は、強力に組織された軍事集団でもあった。
初期こそ怠惰な者も役得目当ての者も多かったのだが、やがてはどんな集団にもありがちの、堕落する者や脱落する者がほとんどいなくなっていた。
墨家は戦国期最大の思想的軍事集団あるいは軍事的思想集団の総称なのである。
松岡正剛の千夜千冊「墨子」より
...............................................................
墨家の代用的な考え方は、「兼愛」と「非攻」。
兼愛とは、「ひろく愛」する意。
非攻とは侵略戦争、すなわち攻撃による戦争を否定すること、しかし防衛のための戦いは否定しない。
そのため、城を守るための戦術、戦闘技術、兵器、心理学を徹底的に研究し、頼まれれば、侵略を受けた城にはどんなところにでも現れた一種の傭兵集団と言ってもよい。
紀元前の昔に「人類平等」の理念を掲げ、また守備のみに徹する傭兵集団というのは本当に謎である。
さて映画。
趙と燕という大国に挟まれた、梁と言う国(フィクション)があった。
趙が燕に侵攻するには、梁を攻める必要があった。
圧倒的な兵力の前に、梁はなすすべがない。
そこで「墨家」に救いを求める。
梁の攻撃が始まる寸前に「墨者」の革離という人物が、ただ一人で梁に現れる。
趙の軍隊は百戦錬磨の巷将軍の率いる10万人、梁は牛将軍率いる4千人。
動揺する梁の人々に革離は言う。
...............................................................
降伏をすれば命は助かるだろう。
しかし邑は焼かれ、女は陵辱される。
・・・・・
戦場に赴いて梁の敵と戦うのだ。
勝てば誰もが自由になれる。
・・・・・
戦いはそもそも理不尽なものだ。
怒り、悲しみ、そして自由を武器に託せ。
己のため、罪なき民のために立ち向かえ。
それで得た自由こそ価値がある。
...............................................................
そして、敵軍の心理を読み、あらゆる戦闘技術を駆使して趙軍を退ける。
大損害を受けた趙軍は撤退。
牛将軍が、「大勝利ですね。褒賞の授与です。今から宮殿の方へ」と革離に言う。
すると革離は、
...............................................................
褒賞?
牛将軍にはこの屍の山が見えないのか?
同じ人間だ。
敵です。
敵が自分を殺そうとする瞬間に、善悪の判断は働かない。
だが、恨みで人を殺そうとするのは論外だろう。
...............................................................
梁王の息子梁適と民は次第に革離に傾倒していく。
それを快く思わない梁王と重臣たち。
ついには謀反の疑いをかけられて囚われるが、梁適の機転で城外へ逃れることができる。
しかし、追われる身に。
そして梁適は言う。
墨家は互いに「兼愛」せよ、つまり万人を愛せと説くが、実際は愛する相手を選ぶべきだ。
しかし、趙軍の巷将軍は撤退してはいなかった。
奇襲をかけられ、梁城は占領されてしまう
巷将軍と側近の会話
...............................................................
戦場は戦場だ。
勝ち負けしか残らない。
確かに梁城は落ちたが、我らの勝利ではない。
革離の負けです。
革離は人間の本性を見落とし嫉妬を招いた。
助けた相手の信用さえ得られなかったのです。
完全な敗北でしょう。
勝者はいないのです。
確かに奴は負けた。
それでも我が手で革離を負かすべきなのだ。
...............................................................
ここから先はもう書きません。
楽しみなくなるでしょ。
見る価値は充分にありますよ。
さてしばらく「墨子」の本を読みふけることにします。
ノートも作りました。
「墨家研究」
なんでか?
私は「老子」が好きと言ってきたのですが、でも自分に合わないところが多少あったんです。
この「墨家思想」はとても気に入りました。
考え方がとても納得できるのですよ。
★★★☆☆
でも、何でタイトルが「墨守」ではなくて「墨攻」なんだろう?








![B0009UAZKQ.01.LZZZZZZZ[1].jpg](http://panky.up.seesaa.net/image/B0009UAZKQ.01.LZZZZZZZ5B15D.jpg)
![B0009MUDV0.09.LZZZZZZZ[1].jpg](http://panky.up.seesaa.net/image/B0009MUDV0.09.LZZZZZZZ5B15D.jpg)
![B000AC8OV0.09.LZZZZZZZ[1].jpg](http://panky.up.seesaa.net/image/B000AC8OV0.09.LZZZZZZZ5B15D.jpg)
