こんな時代である。
もうイケイケの成長は見込めない。
石油も「枯渇する」と言われながらこんなことらしいが、限りはあるはずだ。
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可採年数可採年数 (R/P) とは、ある年度において埋蔵が確認されている石油のうち、その時点での技術で採掘可能な埋蔵量(R) を、その年度の実際の生産量 (P) で割った値である。この値の意味を誤って解釈し、「石油は後何年でなくなる」などと吹聴するものもいるが明確な誤りである。例えばBP統計によれば、1970年の可採年数は約35年であったが、2005年に石油が枯渇したという事実が存在しないことは明らかである。ちなみに2007年度末の可採年数は41.6年であった。
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あとは地球を大事にしながら、どうソフトランディングするかの問題だろう。
最近江戸時代を舞台にした小説をよく読むようになった。
→「銀しゃり」考えれば不思議な時代である。
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ロドリゴ・デ・ビベロによって1609年ごろに15万人と伝えられた江戸の人口は、18世紀初頭には100万人を超え、世界一ないしはそれに匹敵する規模であったと推定されている。
成人男性の識字率も幕末には70%を超え、同時期のロンドン(20%)、パリ(10%未満)を遥かに凌ぎ、ロシア人革命家メーチニコフや、トロイア遺跡を発見したドイツ人のシュリーマンらが、驚きを以って書いている。
また、武士だけではなく農民も和歌を嗜んだと言われており、その背景には寺子屋の普及があったと考えられている。その様に世界的に見れば極めて高い水準であると言うことができる。
しかし、識字率100%の武士階級の人口が多いため、識字率がかさ上げされているのも間違いなく、当時、地方での識字率は20%程度だったと推定されている(それでも、世界的に見て高水準である)。
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当然のごとく鎖国であったので食糧自給率はほぼ100%、そして知的水準も高く、文化的にも豊かであった。
→「天地明察」やはり不思議な時代であったと思わざるをえない。
「未来のための江戸学」の著者の田中優子さんが、こんなことを書かれている。
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【ちょっと江戸まで】法政大学教授・田中優子 今こそ「縮小の時代」を10月1日に拙著『未来のための江戸学』(小学館)を刊行した。江戸時代を知ることにどういう意味があるのか、私たちの近現代は何を乗り越えたのか、あるいは何を克服しそこなったのか、とりわけ、何を捨て何を失ったのか−私は江戸文化を研究しながら、その問いを持ち続けている。この本はそれらの問いに対する、今の時点での答えのひとつとして書いた。
過去の時代を知る面白さは、異なる価値観や美意識や奇妙な人間たちに出会う驚きの連続で、終わらない旅のようなものだ。戦後生まれの私にとって江戸時代は、どれだけ研究しても驚愕(きょうがく)の異文化なのだ。
江戸時代には、未来につなげたい考え方がいくつかある。そのひとつは「持続可能な豊かさ」である。「経済」という言葉が「経世済民」の意味であることはすでにこの欄で書いた。その経済の理念を実現すべく、必要を満たしながらも配慮と節度をもって使いさえすれば、自然は永遠に持続可能な豊かさの源泉だった。質素倹約こそ、豊かさの基本なのである。貪欲と浪費はたちまち「貧しさ」に直結する。私たちの時代は、貧しさの直前まで来ている。
もうひとつ未来につなげたいことは「因果関係」への鋭敏さである。今自分がおこなっていることや日々の生き方は、数年後数十年後にどういう結果となって現れるのだろうか。今が過去の結果であり、同時に未来の原因であるとすれば、今日をどのように生きるべきか。そういうことに意識的であれば、なりふりかまわぬ競争はできなくなり、勝ち負けはどうでもよくなる。大事なのは生き方だからだ。だからこそ、江戸時代は明治になって否定されたのだろう。
江戸時代とは、拡大主義の戦国時代を乗り越えるために出現した「縮小の時代」であった。社会を縮小しながらうまく治める方法こそ、今の私たちに必要なものだ。縮小社会には、それに合った技術や循環システムや仕事がある。『未来のための江戸学』は、それを発見するために書いた本である。
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「歴史は繰り返す。」
「賢者は歴史から学ぶ。」
幕末の光景、敗戦直後の光景は似ている。
それを過ぎてバブルに踊り、景気が回復しないからと言って世界から少し馬鹿にされている日本。
→中国から見た日本「日本が競争力を失っていった過程とは」国債での借金は先進国の中でも突出しているが、まだ国としてのデフォルトの心配はない。
外国が保有する日本国債は6.1%(2009年6月)。後は国内の金融機関や個人が保有している。
つまり、日本の借金は国民の金でほぼまかなわれれいるということだ。
なので、アメリカなんぞにそうとやかく言われる筋合いはない。
江戸期が成熟したころ、今と同じように幕府も藩も借金だらけだった。
それでもつつましやかに日本は成り立っていたのだ。
「質素倹約こそ、豊かさの基本なのである。貪欲と浪費はたちまち「貧しさ」に直結する。私たちの時代は、貧しさの直前まで来ている。」
貿易で得た利益で確かに日本は豊かになってきた。
しかしそれで失ったものもあるはずだ。
貧しさの直前まで来ている日本人は、幸せとはなにか?ということをよく考えてみる必要があるのだろう。