今ワーキングプアという言葉が注目を集めている。
ワーキング プア(working poor)は、正社員並みにフルタイムで働いても(またはその意思があっても)生活保護水準以下の収入しか得られない就業者のこと。直訳では「働く貧者」だが、働く貧困層と解釈される。アメリカなどにおいては、失業者ではなく就業していることから、失業問題としては把握されていないものの、その賃金水準が低く、また技能の向上や職業上の地位の向上の可能性が低いことから隠れた労働問題として捉えられている。
ワーキングプアにあたる所得の世帯数は、日本全国で700万ほどと推定され、深刻な社会問題になりつつある。
(Wikipediaより)
NHKの特集で表面に出てきた問題であるが、これを捉える場合「社会として」という言葉が常に付きまとうが、これは決して社会保障で解決できる問題ではない。
もはや社会としての努力では解決できない問題となってしまっている。
つまりますますワーキングプア層は自己増殖的に増大していく。
ここにその理由を「ループ理論」としてこの背景を分析してみよう。
バブル崩壊後、企業は生き残りの道を模索してきた。
盛んに行われたのがいわゆる「リストラ」といわれるもの。
これはrestructuringの略で、本来の意味は「再構築」である。
組織、生産構造などを無駄のないように再編成するという意味なのだが、リストラは人員整理の代名詞となってしまっている。
つまり、企業は収益を確保するためにまず第一に人件費の削減に手をつけた。
当然、無能な社員の首切りが行われる。そしてその穴埋めとしてパート、アルバイト、派遣社員を雇用することになる。
それは人件費において増大していく社会保険料などの負担を軽減し、企業の収益を徐々に改善させていった。
しかしその構造は、底辺の労働者の賃金を低下させ、社会的地位を不安定なものにする。
そして不安感を持ちながら生活する労働者の消費意欲を低下させ、社会全体の消費が一見伸び悩むように見える。
例えばあなたがワーキングプアとなった場合、どのような消費行動をとるだろうか?
まず第一に重視するのが「価格」であろう。
より安価であることが選択の第一となるはずである。その次に品質となる。
つまり、製品は安くなければ売れない。
いわゆる構造というものを汎用でとらえた場合、正三角形の形をとると仮定すると、

この図のように真ん中から下は全体の75%を占める。
つまり大企業で大量生産される商品を消費する大部分は中間層以下のいわゆる大衆である。
前述のように、大量生産品はもはや「安価」ということが売れるための第一条件となる。
そのため企業はコスト削減を第一に考えないといけない。
コスト削減に大きく影響するのが「原材料費」と「人件費」」なのだが、原材料費は昨今の原油価格の高騰などにより、削減には限界がある。
となると、残る道は人件費の削減しかなくなる。
今年は企業の収益が大きく改善し、税収も大きく伸びた。
しかし統計上では、一般の所得の伸びは現れていない。
これにはどういう意味があるのか?
企業の収益は伸びているわけであるから、当然給与も上昇している。
しかし、その上昇のしかたが今までとは変わってきているのがその理由。
大きく給与が上昇している社員と、上昇しない、もしくは給与が下がる社員がはっきりしているわけである。
これを平均すると見かけ上所得は上昇していないように見える。
戦後60年の日本の復興、経済発展は奇跡といっていいだろう。
多少の紆余曲折はあったにせよ、全体としてみれば右肩上がりの発展であり、そこでも一番特異であったことは、社会全体が平均的にそうであったということ。
つまり、能力があるものないもの全てが右肩上がりの成長の恩恵を受けられたということであり、そこにピリオドが打たれたのがバブル崩壊である。
今、ワーキングプアを語るに当たって一番の問題は、この特異であった期間を基準として考えられているということ。
この期間が特別であったわけであり、反対に今の構造のほうが資本主義経済としては当たり前の状況なのだ。
古来、文明は下層階級や奴隷による苛酷な労働によって支えられてきた歴史がある。
そこに蓄積された不満により王朝が転覆するということもしばしば起こった。
成熟した社会では、そのような階級が存在することが当たり前なのである。
このワーキングプアは日本だけの問題ではない。
記憶に新しいニューオーリンズの水害で、繰り返し報道されたあの光景。
水浸しになり、生命の危険にさらされながらも自分の家から避難しない黒人たち。
あの光景を「頑固な」「無知な」ととらえてはいけない。
あの黒人たちはワーキングプアなのである。
それも日本のそれより深刻な。
一軒家に住んではいるが、その価格は日本のそれより桁が一桁安いものであるし、借家も多い。
そして、あの黒人たちはクレジットカードはおろか、銀行口座すらも持っていないケースがほとんどである。
つまり、あの水浸しになった家が彼らの全財産なのだ。
それを失うということは・・・
だから離れるわけにはいかなかったわけである。
ヨーロッパにおいてもそれは同じ状態といえる。
例えばフランス。
成熟した文化の国である。
しかしその底辺を支えている労働力はアフリカ系などの移民によるものであり、これがワーキングプア層。
なので、最近はしばしば抑圧された移民や下層階級による暴動が起こっている。
つまり、ワーキングプアは出現するべくして現れた問題であって、社会保障などで解決できる問題ではないのだ。
前述したように、これからの製品は安くなければ大量には売れない。
企業は価格を安くするためにはコストを下げなければならない。
コストを下げるためには人件費を削減しなければならない。
なので、自社の社員を明確に二分して考えていく。
単純労働者と管理者や技術者。
単純労働者には労働対価しか支払われない。
労働対価であるので、定期昇給や今までのベースアップなどはもはや考慮されない。
(日本経団連は2006年12月、2007年春闘の経営側の指針となる「経営労働政策委員会報告」の中で、短期的な業績の向上はボーナスのみに反映させるべきだとの姿勢も示し、「(賃金表そのものを書き換えるなどして賃金を一律に底上げする)市場横断的なベースアップはもはやありえない」と明記している。)
また下請けをもっと多く使い自社の製造ラインのコストを下げようとする。
コスト削減のため、下請けに更なるコスト削減を要求する。
そのため下請けの企業も、人件費の削減のため労働者の賃金を下げる。
下請けの労働者の消費意欲は減退し、さらに安い製品を購入しようとする。
当然、より安価な製品しか売れなくなる。
多数派の下層労働者が大企業の顧客であるから、このような消費行動により、大企業はさらに安い製品を市場に投入しなければ売り上げが伸びない。
そのために更なるコストの削減が必要となる。
そして、さらに賃金が下がる・・・
その証拠に、最近は景気は回復傾向にあるといわれているが、消費者物価は上昇せず、デフレ傾向からも脱却していない。
これがワーキングプアが自己増殖していく「ループ理論」であり、このようにもはや抜け出す道は残されていない。
しかし、本来は需要と供給のバランスというものがあり、このおかげで今までは無理な体勢はゆるやかなスパイラルを描いて補正されてきた。
自然界の食物連鎖を例にとってみよう。
たとえば食物連鎖の頂点に立つライオンとその餌となるシマウマ。
ライオンはシマウマを捕食することで生きている。
ライオンの数が増えるとシマウマの数は減っていく。
当然餌となるシマウマが減ると、ライオンの数も減っていく。
ライオンの数が減ると、今度はシマウマの数が増えていく。
このようにうまくバランスがとれ、そのためシマウマが増えすぎてサバンナの草が食べつくされないようにもなっている。
ここでライオンを大企業に、シマウマをワーキングプア置き換えてみる。
シマウマは減ることがあるが、ワーキングプアは今まで述べた理由でもはや減ることはない。
当然人間社会であるので、生活保護などで生存は保障されているからシマウマが死に絶えることもない。
つまりライオンの数は減らず、もはや自然な調整が効かないのである。
といっても、今まではその調節機能が働いていた。
好景気になれば労働力が不足する。
そうなれば賃金を上げて労働者を募集しないと労働力は確保できなかった。
しかし、現在はロボット技術の発達により、単純作業はあるコストをかければ機械化することができる。
あるコストとは、上昇した賃金に見合うコスト。
つまり、今下請けなどに回ってくるほとんどの作業は、機械化するよりコストが安いと企業が判断した作業であるから、それ以上のコストになれば機械化されるわけである。
そうなると今度はシマウマが食べる草がなくなってしまうこととなる。
結局、シマウマはライオンの近くの危険な場所の草を食べなくては生きていけないから、最終的にはライオンの餌食になってしまう。
つまり、ここでも「ループ理論」が成り立ってしまうわけである。
では、これからの企業というものはどういうふうになっていくのか?
SF(サイエンスフィクション)は単なる空想の産物ではない。
「人が思うことは成し遂げられる」という言葉のとおり、そのときは夢物語であったことも必ず現実化する。
特にこのスピードは非常に加速度を増している。
私が子供のころ、今のようなコンピューターの発達、テレビ電話などほとんどの人がその実現を予想もしなかった。
ロボットにしても、アシモのような人間型のロボットは夢以外のなにものでもなかった。
しかしもうそれは現実である。
そのSF小説で近未来が描かれるとき、複合企業が政府に近い役割を果たしているという姿がよくある。
わかりやすいのが「ロボコップ」であろうか。
この映画では企業が警察業務の請負をしている。
つまりこれからは、企業が政府の役割を果たしていく。
小泉政権の時代「政冷経熱」といわれ、中国や韓国とは政治的にはほとんど交流がもたれなかったが、その間にも企業のトップは要人と会談を持ち交流を深めていた。
2005年9月に奥田経団連会長(トヨタ自動車会長)が胡錦濤主席と靖国問題で極秘会談をし、胡主席の要請により奥田会長は靖国参拝の中止を小泉元総理に要望、中止にはいたらなかったが、その結果小泉元首相は平服で、ポケットから100円硬貨を取り出して賽銭箱に投げ入れるという一般人と同じ参拝スタイルになったと言われている。
こうなればもはや民間の外務大臣である。
このとき政府の外務大臣はどんな働きができただろうか?
もう日本の大企業は小さな政府といってよい。
雇用はもちろん、教育、社会保障すら自己完結型で行っていける力を持っている。
来年に予定されている税制改革も、企業に非常に有利な改革である。
これはなるべくしてなっている流れであり、もはや押しとどめることはできないのだ。
このようにもはや政府が規制できないわけであるから、企業が政府になっていくと言い切っても過言ではないだろう。
こういう流れからもワーキングプアの問題はもはや小手先の政策では解決できないのだ。
しかし、私はこれでいいと思ってはいない。
このままでは確実に日本の国力と日本人の尊厳は失われていく。
そのためには、構造の改革より「意識」の改革をしていく必要に迫られている。
続く