宮本哲也さんの紹介
4Ch 情熱大陸 2006.12.10放送

算数塾講師・宮本哲也、47歳。
試験なしで先着順に、生徒を選ばず入室させているにもかかわらず、首都圏最難関中学への進学率80%以上という驚異的な実績を誇る算数教室を主宰するカリスマ講師だ。
彼は自らを「無手勝流(むてかつりゅう)算数・家元」と呼び、質問は一切受けない、子どもたちに考えさせる、という「教えない」スタイル、いわば「指導なき指導」を展開している。自身が考案したユニークな教材と緊張感あふれる授業展開により、子どもたちに自ら問題に向かう学習姿勢を身につけさせる。
「生きる力としての学力を身につければ、ささやかな副産物として入試の合格が得られる。」そう語る宮本が子どもたちに望むことは何なのか?彼が考える算数の本当の目的とは?番組では、算数のカリスマ講師・宮本の人物像そして無手勝流算数の真髄に迫り、算数の面白さを再発見する。 「情熱大陸」ホームページより
最初の5分ほどは見逃したのですが、確かにこの紹介の通りの塾でした。
ほとんど宮本さんは何もしゃべりませんし、教えもしません。
子供達に課題を与え、子供達がひたすらその問題を解きます。
問題は黒板に書かれ、一部のパズルを除いてはプリントすらありません。
質問も許されませんので、授業が終わるとそのまま子供達は帰るだけです。
宮本さんは徹底して世話をすることもありません。
小学生の問題と言ってもナメてはいけません。
小学校5年生の塾生に出された問題が出ていましたが、それは有名中学の入試問題に相当する難易度です。
たぶんこれを読んでおられる方はほとんど?たぶんどなたも解けないと思います。
今宮本さんの出す
算数パズルが教材の人気ランクトップを独占しています。
そして「もっと難しいパズルを」との要望から、宮本さんがその問題の作成をされている様子も取材されていました。
完成するまで、寝ない、食べない、教室から出ない。
たった一問に60時間をかけていました。
さて完成。
完成したパズルが解けるのか?実験です。
そこに呼ばれたのは東大生6人。
もちろん宮本さんの教え子たち。
つまり卒業して最低6年たっていても教え子達はやってくるわけです。
結果は6名中解けたのが東大大学院生ただ一人。
結果はともかくとして、その後にこの生徒たちが宮本さんを囲んで食事をし、プレゼントを渡していました。
まあテレビ取材であるということを差し引いても、この師弟関係には何か切っても切れない繋がりがあるようです。
宮本さんは生徒の世話をしないと書きましたが、趣味のスキューバダイビングのための旅先で、塾生ひとりひとりに絵葉書をだしていました。
さてここで宮本さんの言葉です。
「ここは算数塾です。
中学に合格することを目的としていない。
だって、そこにパラダイスがあるわけじゃないですよ。
ハードルを越えると、もっと高いハードルがあるわけですよ。
そのハードルを飛び越えることを喜びにしなければ幸せにはならない。」
つまり、これが教育に一番重要な「信念」だと思います。
これがあるから、これが伝わるから子供達は黙ってついてくるのでしょう。
先日の日曜日に読んだ本です。
「バカとは何か」和田秀樹
この和田先生は精神科のドクターでありますが、鉄緑受験指導ゼミナールを主宰されています。
この塾はまあ早く言えば「いかに効率よく東大に合格するか?」を目標にしています。
もちろん和田先生も東大医学部卒。このゼミナールの講師も全員が現役の東大生です。
和田先生の考えはこの対極にあるものでしょうか?
内容の抜粋です。
「受講生の中でも学校の勉強と両立しないという悩みを訴える受講生は多い。
学校の宿題が多すぎるとか、教師がうるさくて、こちらの指定した勉強ができないというのだ。
こちらとしては、志望校や本人の学力に合わせた宿題を出しているつもりだし、少なくとも、今学校の指定する宿題をすることで受験学力が上がっていないのだから、そっちを放っておいても、こちらの勉強をやってほしいのだが、なかなかその割り切りができない。
結果的に、上手に割り切れた受講生の多くは志望校の合格を果たすのに、元の学力が高かったり、まじめな生徒であるのに、学校の勉強にこだわりすぎる生徒の合格実績は芳しいものといえない。
最近、受験勉強で鍛えられる頭のよさの最たるものとは、このような、今自分が何をなすべきかの判断であったり、学校のお仕着せでない自分の勉強をできるようになることではないかと思いようになってきた。」
決してこのような考え方ややり方を批判するわけではありません。
需要と供給の問題ですし、私塾でありパブリックではありませんので。
でも、「学校のお仕着せでない自分の勉強」というのは東大に合格するためだけの勉強なのでしょうか?
和田先生は、このように要領よく合格した学生のほうが社会に出て役に立つと言われていますが、果たしてそうなのか極めて疑問です。
今大学では新入生に補習をしないと大学としてのまともな講義ができなくなっています。
それは本来人間として身につけておくべき常識的な、もしくは高等教育を受けるに当たって必要な知識や考え方の習得がおろそかになっている現場があるからだと思います。
履修単位不足の高校の存在も大きな問題になりましたし。
また和田さんはこうも述べられています。
「鈍臭い奴、要領の悪い奴は、私から見るとバカだと。」
私は、例え要領は悪くても地道に努力をし続けられる人間こそ、社会に出て役に立つと思っています。
所詮付け焼刃は付け焼刃。
社会に出れば荒波でそんなものはすぐにはがれます。
困ったことは、付け焼刃がよく切れると思っている付け焼刃が多いということでしょうか。
つまり生きることの目的をなんととらえるかです。
大学に入学することが最終目標ではないはずです。
大学が最後のパラダイスではありませんから。
私は私の2人の子供達には、自分の目標は自分で決めるように言ってあります。
大学に行くのか行かないのかも自分で決めればよいと。
ただ目標が決まれば、それに到達するための努力は決して惜しんではならないが、しかし受験勉強だけでもダメだとも教えます。
つまり、本を読み、映画を観て、人とも交わり・・・人としての内容を膨らます努力を今のうちにしておかないといけないとも。
大学は所詮4年間です。
それが最終ゴールではありません。
社会に出たときどのような人間になっているか?
最終的には人生80年、最後に目を閉じるときにどのような心持ちで永遠の眠りにつくことができるのか?それが問題ではないでしょうか?
勉強とはその為のものでしょう。
最後に宮本さんの言葉です。
「私は教室にいたい。それは子供達からエネルギーをもらえるからなんだと思います。なんと言っても子供達がすばらしい。」
これが教育者の言葉ですね。