「不朽の名作『モリー先生との火曜日』の著者による待望の新作」のコピーに引かれて
読んでみた。
「この物語は、おわりから始まる。83歳のエディは、偶然の事故であっけなく死んだ。愛する妻に先立たれ、子供もいない。仕事も希望どおりではなかった。彼の人生はなんの意味もなかったのか……。しかし、その死は本当のおわりではなかった。彼を天国で待っていた五人の人物とは? エディが最後にたどりついたものは?――人は人に生かされ、また同時に人を生かしてもいる、そんな人生の真実が胸に迫る。」
の紹介文があるのだが・・・
貧乏な家庭に生まれ、父親にネグレクトされ、軍隊での悲惨な経験をし、そして海辺の小さな遊園地のメインテナンス係をしているエディ。機械の故障でゴンドラが落下するその寸前にゴンドラの下にいる少女を救うために犠牲になって死ぬ。
そこから物語は始まるのだが、今まで自分とかかわった天国にいる五人から、人生の意味について学ぶ課程を感動的なストーリーに仕立て上げるという、アメリカによくある本。
「全ては無駄ではなく、つながりあっている」がテーマらしい。
しかし、とにかく暗い。
これでは、「天国の五人」と言うより「地獄の五人」である。
最近、考えなくてはいけないことが多く、少し気晴らしをと思って読んだのに、反対に落ち込んでしまう。
この手の本で、人を落ち込ますことが出来るといった意味では、稀有な存在だと思う。
Amazonの読者レビューの平均が★4.5となっているのにも驚いた。
どこに感動したのだろう?
評価 ×××
2004年12月25日
2004年12月23日
「希望格差社会」山田昌弘
私は、10年以上前から「これからは上か、下かの時代になる。真ん中がなくなる。どちらに入るかだ。」と言ってきた。
それを実証した本である。
サブタイトルは「『負け組』の絶望感が日本を引き裂く」となっている。
キーワードは「リスク化」と「二極化」
リスク化とは、今までは安全と思われていた日常生活が、リスクを伴ったものになること。
リスクとは、身に差し迫った危険ではなく、今までは真面目に学校に行き、大学を卒業し、就職し、結婚をすれば子供が生まれ、定年まで地位が保障され退職金があり、年金などの社会保障で一生の見通しが立ったが、現在はその見通しが全く立たないということである。
大学を卒業しても、正社員にはなれず、結婚もできない、いや出来ても離婚。子供が出来ても、フリーターや引きこもりになり、パラサイト(寄生)シングルを抱え、生活が圧迫される。中年になってもリストラという名目で、収入が保障されず、退職金も当てにできず、子供たちも親を扶養する能力がない。もちろん年金に至ってはである。
今までお互いに助け合ってきた共同体(一番大きなものが国家)全てがリスクを負っているので、援助の手も差し伸べられないということになる。
二極化とは、「勝ち組」「負け組」に代表される戦後縮小に向かっていた様々な格差が、拡大に向かうことをいう。
驚くべき統計がある。それは同類婚指数。
これは、男性、女性の最終学歴(中卒、高卒、専修学校卒、短大高専卒、大卒)の組み合わせがランダムに行われると仮定した場合、期待件数に対する実際の組み合わせ件数の比率をいう。両者が一致すれば1となり、期待以上だと1以上になる。
要するに、例えば高卒同士の男女が結婚する確立がどうかということ。
この組み合わせは、25通りあるが、同学歴の男女の同類婚指数は全て1以上であるが、それ以外はほとんど1以下となっている。(1997年の統計)
特徴的なのは、中卒同士の同類婚指数は5.5、大卒同士の同類婚指数は2.58。
もはや、生まれる前から一生が決まってしまっているのだ。
大卒同士の裕福な親から生まれた子供は、恵まれた環境で、社会の中核の地位を占めることが出来るような教育を受けることができるが、今、大卒でも正社員となることが困難ななかで、中卒でまともな職業に就けることはまずない。
「一生単純労働から抜け出すことが出来ないと意識する人が、仕事で努力しようとするだろうか。」
「こうした差のある両者の間には、仕事や人生に対する意欲の有無など『社会意識』の差、つまり心理格差が現れる。これが希望格差である。」
例を挙げれば、あの荒れた成人式。
本来成人式とは、これからの希望に満ちた船出を祝うものであり、私もその当時はそう感じていた。あのような振る舞いをする若者達は、定職もなく、十分な教育、躾も受けていない。また、あの若者達の親も、例外はあろうが多かれ少なかれそれに近い境遇にある。
ああすることでしか自分を認めない社会にアピールする方法が無いのだろう。
もはや、平均値で社会を評価するのは難しいのだと思う。
先月、小学校6年生の娘の模擬試験を見ていたら、「APECとは何の略か?」という問題があった。これをさて何%の大人が正しく解答できるだろうか。
小学生の学力低下が問題となっているが、あれはあくまでも平均値である。かなりハイレベルな学力を持った子供がいる反面、著しく低いレベルの学力の子供が増えているということなのだ。
もはや、「一億総中流」の時代は終わり、否応なく「競争の時代」がやってきている。その中で、どのように人間として満たされ、努力が報われるような社会構造(とりあえず大学に行ってというような意味ではなく、ドイツのマイスター制度のようなもの)を作るかが、環境問題とともに世界の課題となるだろう。
階層により閉塞感が強まり、治安が悪くなると、それだけ社会の無駄なコストも増大していく。
評価 ★★★★☆
Amazon 希望格差社会
本日我が家の夕食時の会話
娘「お母さん、イラクの自衛隊派遣に反対してるのはどの政党?試験に出た。」
母「民主党」
私「お前なんて書いたん?」
娘「共産党」
私「共産党でもおおてる。」
娘「賛成してる党2つ書かなあかんかったんやけど、自民党しかわからんかったし、どっちか当たるやろと思て、両方とも自民党って書いた。」
私「もう一つは公明党。」
決して、娘はトップクラスの成績ではないのだが、それでもこのレベルなんである。
それを実証した本である。
サブタイトルは「『負け組』の絶望感が日本を引き裂く」となっている。
キーワードは「リスク化」と「二極化」
リスク化とは、今までは安全と思われていた日常生活が、リスクを伴ったものになること。
リスクとは、身に差し迫った危険ではなく、今までは真面目に学校に行き、大学を卒業し、就職し、結婚をすれば子供が生まれ、定年まで地位が保障され退職金があり、年金などの社会保障で一生の見通しが立ったが、現在はその見通しが全く立たないということである。
大学を卒業しても、正社員にはなれず、結婚もできない、いや出来ても離婚。子供が出来ても、フリーターや引きこもりになり、パラサイト(寄生)シングルを抱え、生活が圧迫される。中年になってもリストラという名目で、収入が保障されず、退職金も当てにできず、子供たちも親を扶養する能力がない。もちろん年金に至ってはである。
今までお互いに助け合ってきた共同体(一番大きなものが国家)全てがリスクを負っているので、援助の手も差し伸べられないということになる。
二極化とは、「勝ち組」「負け組」に代表される戦後縮小に向かっていた様々な格差が、拡大に向かうことをいう。
驚くべき統計がある。それは同類婚指数。
これは、男性、女性の最終学歴(中卒、高卒、専修学校卒、短大高専卒、大卒)の組み合わせがランダムに行われると仮定した場合、期待件数に対する実際の組み合わせ件数の比率をいう。両者が一致すれば1となり、期待以上だと1以上になる。
要するに、例えば高卒同士の男女が結婚する確立がどうかということ。
この組み合わせは、25通りあるが、同学歴の男女の同類婚指数は全て1以上であるが、それ以外はほとんど1以下となっている。(1997年の統計)
特徴的なのは、中卒同士の同類婚指数は5.5、大卒同士の同類婚指数は2.58。
もはや、生まれる前から一生が決まってしまっているのだ。
大卒同士の裕福な親から生まれた子供は、恵まれた環境で、社会の中核の地位を占めることが出来るような教育を受けることができるが、今、大卒でも正社員となることが困難ななかで、中卒でまともな職業に就けることはまずない。
「一生単純労働から抜け出すことが出来ないと意識する人が、仕事で努力しようとするだろうか。」
「こうした差のある両者の間には、仕事や人生に対する意欲の有無など『社会意識』の差、つまり心理格差が現れる。これが希望格差である。」
例を挙げれば、あの荒れた成人式。
本来成人式とは、これからの希望に満ちた船出を祝うものであり、私もその当時はそう感じていた。あのような振る舞いをする若者達は、定職もなく、十分な教育、躾も受けていない。また、あの若者達の親も、例外はあろうが多かれ少なかれそれに近い境遇にある。
ああすることでしか自分を認めない社会にアピールする方法が無いのだろう。
もはや、平均値で社会を評価するのは難しいのだと思う。
先月、小学校6年生の娘の模擬試験を見ていたら、「APECとは何の略か?」という問題があった。これをさて何%の大人が正しく解答できるだろうか。
小学生の学力低下が問題となっているが、あれはあくまでも平均値である。かなりハイレベルな学力を持った子供がいる反面、著しく低いレベルの学力の子供が増えているということなのだ。
もはや、「一億総中流」の時代は終わり、否応なく「競争の時代」がやってきている。その中で、どのように人間として満たされ、努力が報われるような社会構造(とりあえず大学に行ってというような意味ではなく、ドイツのマイスター制度のようなもの)を作るかが、環境問題とともに世界の課題となるだろう。
階層により閉塞感が強まり、治安が悪くなると、それだけ社会の無駄なコストも増大していく。
評価 ★★★★☆
Amazon 希望格差社会
本日我が家の夕食時の会話
娘「お母さん、イラクの自衛隊派遣に反対してるのはどの政党?試験に出た。」
母「民主党」
私「お前なんて書いたん?」
娘「共産党」
私「共産党でもおおてる。」
娘「賛成してる党2つ書かなあかんかったんやけど、自民党しかわからんかったし、どっちか当たるやろと思て、両方とも自民党って書いた。」
私「もう一つは公明党。」
決して、娘はトップクラスの成績ではないのだが、それでもこのレベルなんである。
2004年12月21日
「武士道」新渡戸稲造
日露戦争について調べているうちに、ここに来た。
高校生のときに一度読んだが、そのときはあまり面白いとは思わなかった。
再挑戦である。
これは、明治32年に英文で書かれ、アメリカで出版された。この本により、時のルーズベルト大統領も「BUSHIDO」と言う言葉を知っており、この精神に感動していた。そのためポーツマス講和条約で日本よりの仲介(表面的には)をしたとも言われている。
内容に関しては、武士道を知らない外国人に対しかかれたものであるので、そう目新しいものはないが、肝心なところだけ二、三揚げておく。
武士道の支柱「義」とは『勇猛果敢なフェアー・プレーの精神』
これを忘れてはいないだろうか?
サッカーの国際試合で、ゴールされそうになったらファウルをする。それを解説者は「イヤー。あれは仕方がないですよ。」という。
日本代表のシンボルは八咫烏。八咫烏は熊野の神々のお使い。神様に恥ずかしくないのか?
卑近な例で申し訳ないが、最近はあまりに、身びいき、言い訳、嘘、ごまかしが当たり前になっている。
正々堂々とやって、負けたのならしかたがないではないか。
自分の能力以上のことは誰だってできないのだから、「できません。」「失敗しました。」まずそれをはっきり認めることがフェア・プレーだし、したくない事は、「嫌だ。」とはっきり言うことが男らしさでしょう。
それができて初めて、ステップアップが出来るのだと思う。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」
これは葉隠だが、確かに「義」のために死ぬのが武士だ。
しかし、最近は何のためだかわからず死ぬ奴がいる。それも一人で死ぬのが怖いから、インターネットで仲間を集めて、楽に練炭で死ぬ?
「真の名誉とは、天の命じることをやり遂げるところにあり、それを遂行するために招いた死は決して不名誉なことではない。だが天が与えようとしているものを避けるための死は、まさに卑怯である。」
「死を軽蔑するのは勇敢な行為である。だが生きることが死ぬことよりつらい場合、まことの勇気はあえて生きることである。」(サー・トーマス・ブラウン)
大和撫子
四条にルイ・ヴィトンができた。日曜日に中をのぞいたら、若いカップルでいっぱいだった。
真の大和撫子なら「私にはこんな贅沢なものは似合いませんので、いりません。そのお金であなたの必要な本かコンピューターを買ってください。」と言うのだろうが、もうこの純血種は絶滅したのだろう。
この本やコンピューターが、武士の名刀か名馬になるし、この投資が出来るかどうかがその男の将来を決める。女性の将来はその男で決まるのだが・・・
まあ、自分で自分の首を絞めているのだから勝手ではありますが。
現代語辞典で、「やさしさ」という言葉を調べると、「大事なところで怒らず、ブランド品を買ってくれること」となっている。(ウソです)
「アメリカ人の夫は、人前では妻にキスをするが私室では打つ。しかし日本人の夫は、人前で妻を打って、私室ではキスをする。」
武士道はなお生き続けるか?
ここは、引用だけにしておきます。
「人は世界を異教教徒とキリスト教徒とに分けた。だが、前者にどれほどの善が秘められているのか、後者にどれほどの悪が混在しているのかを考えてこなかった。自分の最良の面と隣人の最悪の面とを比べ、キリスト教の理想と、ギリシャや東洋の腐敗とを比べてきた。公平さを目指さず、自分の宗教のみを誉め、他の様式を持つ宗教について悪口を言い、それで満足してきたのである。」(ジャエウッド)
「武士道はこのまま廃れるのか。その予兆となる芳しくない兆候が大気中に漂い始めている。いや、兆候のみならず、侮りがたい勢力がすでに武士道を脅かしているのである。」
評価★★★☆☆
高校生のときに一度読んだが、そのときはあまり面白いとは思わなかった。
再挑戦である。
これは、明治32年に英文で書かれ、アメリカで出版された。この本により、時のルーズベルト大統領も「BUSHIDO」と言う言葉を知っており、この精神に感動していた。そのためポーツマス講和条約で日本よりの仲介(表面的には)をしたとも言われている。
内容に関しては、武士道を知らない外国人に対しかかれたものであるので、そう目新しいものはないが、肝心なところだけ二、三揚げておく。
武士道の支柱「義」とは『勇猛果敢なフェアー・プレーの精神』
これを忘れてはいないだろうか?
サッカーの国際試合で、ゴールされそうになったらファウルをする。それを解説者は「イヤー。あれは仕方がないですよ。」という。
日本代表のシンボルは八咫烏。八咫烏は熊野の神々のお使い。神様に恥ずかしくないのか?
卑近な例で申し訳ないが、最近はあまりに、身びいき、言い訳、嘘、ごまかしが当たり前になっている。
正々堂々とやって、負けたのならしかたがないではないか。
自分の能力以上のことは誰だってできないのだから、「できません。」「失敗しました。」まずそれをはっきり認めることがフェア・プレーだし、したくない事は、「嫌だ。」とはっきり言うことが男らしさでしょう。
それができて初めて、ステップアップが出来るのだと思う。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」
これは葉隠だが、確かに「義」のために死ぬのが武士だ。
しかし、最近は何のためだかわからず死ぬ奴がいる。それも一人で死ぬのが怖いから、インターネットで仲間を集めて、楽に練炭で死ぬ?
「真の名誉とは、天の命じることをやり遂げるところにあり、それを遂行するために招いた死は決して不名誉なことではない。だが天が与えようとしているものを避けるための死は、まさに卑怯である。」
「死を軽蔑するのは勇敢な行為である。だが生きることが死ぬことよりつらい場合、まことの勇気はあえて生きることである。」(サー・トーマス・ブラウン)
大和撫子
四条にルイ・ヴィトンができた。日曜日に中をのぞいたら、若いカップルでいっぱいだった。
真の大和撫子なら「私にはこんな贅沢なものは似合いませんので、いりません。そのお金であなたの必要な本かコンピューターを買ってください。」と言うのだろうが、もうこの純血種は絶滅したのだろう。
この本やコンピューターが、武士の名刀か名馬になるし、この投資が出来るかどうかがその男の将来を決める。女性の将来はその男で決まるのだが・・・
まあ、自分で自分の首を絞めているのだから勝手ではありますが。
現代語辞典で、「やさしさ」という言葉を調べると、「大事なところで怒らず、ブランド品を買ってくれること」となっている。(ウソです)
「アメリカ人の夫は、人前では妻にキスをするが私室では打つ。しかし日本人の夫は、人前で妻を打って、私室ではキスをする。」
武士道はなお生き続けるか?
ここは、引用だけにしておきます。
「人は世界を異教教徒とキリスト教徒とに分けた。だが、前者にどれほどの善が秘められているのか、後者にどれほどの悪が混在しているのかを考えてこなかった。自分の最良の面と隣人の最悪の面とを比べ、キリスト教の理想と、ギリシャや東洋の腐敗とを比べてきた。公平さを目指さず、自分の宗教のみを誉め、他の様式を持つ宗教について悪口を言い、それで満足してきたのである。」(ジャエウッド)
「武士道はこのまま廃れるのか。その予兆となる芳しくない兆候が大気中に漂い始めている。いや、兆候のみならず、侮りがたい勢力がすでに武士道を脅かしているのである。」
評価★★★☆☆
2004年12月20日
「本日の雑談」4 小林よしのり、西部邁
西部さんは好きで、何冊か読んでいた。
この中でも、「テロ征伐をやればやるほどテロが広まっているということ。」と言っているが、これは私も全く同感。
小林さんは、あの顔とあの漫画のセンスがひどく嫌で、今まで全く関心が無かったが、言わんとすることは私の考えとそう離れてはいないと思った。
ただ、『雑談』と言うように、テロから靖国問題、ライブドア、芥川賞、ダーリンは韓国人まで、ごちゃごちゃで、感情と国際情勢をミキサーにかけ、世情で固めたものを天付きで押し出して、知識のタレをかけて食した・・・そんな感じがした。
評価★☆☆☆☆
この中でも、「テロ征伐をやればやるほどテロが広まっているということ。」と言っているが、これは私も全く同感。
小林さんは、あの顔とあの漫画のセンスがひどく嫌で、今まで全く関心が無かったが、言わんとすることは私の考えとそう離れてはいないと思った。
ただ、『雑談』と言うように、テロから靖国問題、ライブドア、芥川賞、ダーリンは韓国人まで、ごちゃごちゃで、感情と国際情勢をミキサーにかけ、世情で固めたものを天付きで押し出して、知識のタレをかけて食した・・・そんな感じがした。
評価★☆☆☆☆
2004年12月19日
日露戦争日米外交秘録 金子堅太郎講演
今年一番面白かった本は、「ダ・ヴィンチ・コード」だったが、一番心に残った本はこれだった。
昨年日露戦争に関係する本をAmazonで検索し、面白そうなもの、必要と思われるものを全て買ったその中の最後の1冊である。
なぜ、これを最初に読まなかったのかと悔やまれる。
まあ、爺の回顧録なので、話半分としても、これが日本人か?いや明治の男はこうだったのだろう。
金子堅太郎は枢密院顧問、伊藤博文と共に明治憲法を起草した人物である。
明治36年に伊藤博文に請われ、アメリカに渡り、アメリカを始め、世界に日本の正当性を主張した人物である。
もちろん、ハーバード大学で当時のルーズベルト大統領と同窓であったのも、この人選の大きな理由だった。
帰国する時には、ルーズベルトの私邸に逗留し、大統領自らがトイレの場所まで案内するという関係になっている。
個々の業績一つ一つを取り上げるよりも、まずその気概の壮大さを見習わねばならない。
人の上に立つ人物の振舞い方・・・真のエリートとは何か?
教養であり、精神のありよう、日本人であれば武士道、西洋であれば騎士道---この精神Fluctuat Nec Mergitur(位高ければ務め多し)
仕事をどれだけ、どのようにしたかといったことではなく、その男の朝起きてから、寝るまで、いや寝ている間も含む一日、その一生全てが、名工の鍛えた古刀のように感じる。
やると言った事、いや、その地位にいれば当然出来るだろうと思われていることは必ずやる。できないこと、やるべきではないことは引き受けない。できそうな顔もしない。
そこから、驚くような業績が生み出されていくのだろう。
忙しいから出来ないのではなく、やる気がないからできないのだろうと思う。
金子翁がアメリカに出発する前の、日露戦争に関する児玉源太郎の見通し「五分五分だと思う。五分五分では始末がつかぬから、四分六分にしようと頭を痛めている。そうなれば、誰か調停者がでてくるだろう。そのために30日間着の身、着のままで頭を痛めている。」
東郷平八郎は「日本の軍艦の半分は沈める。その代わり残りの半分でロシアの軍艦を全滅させる。又人間も半分は殺す。君もそのつもりでいてくれ。」これは、冷静な分析力、胆力が言わせるのだと思う。
特に重要なのは、大審院判事ホームズの言葉。
「今日の日本は、精神は武士道で日本の古武士である。それに文明の利器を与えたからこれは実に強い人種である。もしこの国情が存在している間は、日本は世界独歩の強国である。しかし、しかし世の進歩は思想に変化を及ぼし、また精神もだんだん薄弱になる。これは日本が深く反省しなければならぬ。
反面は野蛮人種であって、反面は文明人種である国が一番強い。野蛮の性質が残っていればいかなる寒暑にも耐え、いかなる困難にも打ち勝つことが出来る。」
今年の12月に出産のため退職する13年勤務したスタッフにこう言われた。
「先生やさしくなりすぎましたよ。私は就職した時、毎日毎日『考えて動け!』って怒られました。私の前の人のときはそれよりもっときつかったじゃないですか。意見を聞かれて黙ってたら、『黙ってたらわからん。何か言え。』と怒鳴ったでしょう。そういわれて、自分の思うことがはっきり言えるようになりました。今は、言わなさすぎますよ。」
年の瀬で来年の目標ができた。妙に物分りがよくなったふりをしていた自分に気がついた。五分五分を四分六分にする気力。兵隊を半分殺しても勝とうと思う胆力。
今、来年中学受験の娘が模試の結果を持ってきた。前回は志望校の合格率が50%だった。「これでは落ちるぞ。あと1ヶ月やないか。死ぬ気でやれ。金メダルは銀でもいいやと思ってたら絶対に取れへんのや。」
今回は90%だった。こんな偉そうなことを言う資格が今の自分にあるのか?
評価★★★★☆
昨年日露戦争に関係する本をAmazonで検索し、面白そうなもの、必要と思われるものを全て買ったその中の最後の1冊である。
なぜ、これを最初に読まなかったのかと悔やまれる。
まあ、爺の回顧録なので、話半分としても、これが日本人か?いや明治の男はこうだったのだろう。
金子堅太郎は枢密院顧問、伊藤博文と共に明治憲法を起草した人物である。
明治36年に伊藤博文に請われ、アメリカに渡り、アメリカを始め、世界に日本の正当性を主張した人物である。
もちろん、ハーバード大学で当時のルーズベルト大統領と同窓であったのも、この人選の大きな理由だった。
帰国する時には、ルーズベルトの私邸に逗留し、大統領自らがトイレの場所まで案内するという関係になっている。
個々の業績一つ一つを取り上げるよりも、まずその気概の壮大さを見習わねばならない。
人の上に立つ人物の振舞い方・・・真のエリートとは何か?
教養であり、精神のありよう、日本人であれば武士道、西洋であれば騎士道---この精神Fluctuat Nec Mergitur(位高ければ務め多し)
仕事をどれだけ、どのようにしたかといったことではなく、その男の朝起きてから、寝るまで、いや寝ている間も含む一日、その一生全てが、名工の鍛えた古刀のように感じる。
やると言った事、いや、その地位にいれば当然出来るだろうと思われていることは必ずやる。できないこと、やるべきではないことは引き受けない。できそうな顔もしない。
そこから、驚くような業績が生み出されていくのだろう。
忙しいから出来ないのではなく、やる気がないからできないのだろうと思う。
金子翁がアメリカに出発する前の、日露戦争に関する児玉源太郎の見通し「五分五分だと思う。五分五分では始末がつかぬから、四分六分にしようと頭を痛めている。そうなれば、誰か調停者がでてくるだろう。そのために30日間着の身、着のままで頭を痛めている。」
東郷平八郎は「日本の軍艦の半分は沈める。その代わり残りの半分でロシアの軍艦を全滅させる。又人間も半分は殺す。君もそのつもりでいてくれ。」これは、冷静な分析力、胆力が言わせるのだと思う。
特に重要なのは、大審院判事ホームズの言葉。
「今日の日本は、精神は武士道で日本の古武士である。それに文明の利器を与えたからこれは実に強い人種である。もしこの国情が存在している間は、日本は世界独歩の強国である。しかし、しかし世の進歩は思想に変化を及ぼし、また精神もだんだん薄弱になる。これは日本が深く反省しなければならぬ。
反面は野蛮人種であって、反面は文明人種である国が一番強い。野蛮の性質が残っていればいかなる寒暑にも耐え、いかなる困難にも打ち勝つことが出来る。」
今年の12月に出産のため退職する13年勤務したスタッフにこう言われた。
「先生やさしくなりすぎましたよ。私は就職した時、毎日毎日『考えて動け!』って怒られました。私の前の人のときはそれよりもっときつかったじゃないですか。意見を聞かれて黙ってたら、『黙ってたらわからん。何か言え。』と怒鳴ったでしょう。そういわれて、自分の思うことがはっきり言えるようになりました。今は、言わなさすぎますよ。」
年の瀬で来年の目標ができた。妙に物分りがよくなったふりをしていた自分に気がついた。五分五分を四分六分にする気力。兵隊を半分殺しても勝とうと思う胆力。
今、来年中学受験の娘が模試の結果を持ってきた。前回は志望校の合格率が50%だった。「これでは落ちるぞ。あと1ヶ月やないか。死ぬ気でやれ。金メダルは銀でもいいやと思ってたら絶対に取れへんのや。」
今回は90%だった。こんな偉そうなことを言う資格が今の自分にあるのか?
評価★★★★☆
2004年12月04日
司馬遼太郎「坂の上の雲」第1巻
何においても黎明期というものはこういう感じになるのだろうか。
この明治初期の日本を、「いいかげん」ととるか「透明」と取るかの判断は分かれるところかもしれない。
物語は秋山好古、真之兄弟と同郷の正岡子規の人生を絡めながら進行する。
このどの人生も、立身出世のための壮絶な努力の物語とは思えない。
明治の時代のごく普通の人々が、与えられた場所と役割をそのまま運命と受け入れ、己が人生を淡々と全うしている風景であろう。
秋山好古は、ただ教育の重要性だけを信じて、学費の要らない学校だけを選んでいく。
そして、与えられた任務に全く異を唱えることなく、それが己のために損か徳かさえも考えず実行する。
サラブレッド、アラブ、一頭もいない状態で騎馬隊の基礎を作るということは、軽四でF1レースに参戦するようなものだ。
それでも好古は、可能かどうかさえも問題にせず、いかに実現すべきかだけを考えている。そしてついにはロシアの大平原で、その当時世界最強のコサック騎兵を撃破するにいたる。
バルチック艦隊撃破の作戦を立て、それを実行した真之に至っては、生家の貧しさから間引きの危機から逃れ、兄好古のとりなしによって世間に埋もれてしまう窮地を脱出するという運命の中から、なぜか海軍の中枢に入っていく。
幼なじみの子規と真之の交流は、実にカラリとしており、男の交わりはかくあるべしか?
お互いに飛び切りの才能を持つ男の交流はべたべたせず、このようになるのであろう。
この中で描かれる公人としての表情とは別に、おかしみのある私人の顔も意外ではあるが面白い。
好古と真之の生活において、茶碗が一つしかなく、真之が飯を食い終わるのを待って、その茶碗で好古が酒を飲む。早く酒を飲みたい好古が「早く食え!」と言うあたりは笑えてくる。
ここでこの3人に共通する1点がある。
それは、金銭欲、物欲、出世欲が感じられないということ。
まあ茶碗ぐらいは2つあってもいいとは思うのだが、人は何のために生きるのか?いや自分は何のために生きるのかをどう自分で決めていくのか?を常に無意識に考えていかねばならないということなのだろう。
それは、どの選択が正しい、間違いということではない。
今年は、この時期に関する読書が多くなったせいがあるのか、めっきり物を買わなくなった。(パイプ以外は)
服に至っては1枚も買っていない。それでどうもないものである。
しかし、日清戦争の情景で、当時は海戦を観戦することが出来たという部分があり、さすがに驚いた。まだ戦争が芸術であったのだろうし、のんびりした時代だったのだろう。今の戦争はテレビゲームに近いものになっている。
この明治初期の日本を、「いいかげん」ととるか「透明」と取るかの判断は分かれるところかもしれない。
物語は秋山好古、真之兄弟と同郷の正岡子規の人生を絡めながら進行する。
このどの人生も、立身出世のための壮絶な努力の物語とは思えない。
明治の時代のごく普通の人々が、与えられた場所と役割をそのまま運命と受け入れ、己が人生を淡々と全うしている風景であろう。
秋山好古は、ただ教育の重要性だけを信じて、学費の要らない学校だけを選んでいく。
そして、与えられた任務に全く異を唱えることなく、それが己のために損か徳かさえも考えず実行する。
サラブレッド、アラブ、一頭もいない状態で騎馬隊の基礎を作るということは、軽四でF1レースに参戦するようなものだ。
それでも好古は、可能かどうかさえも問題にせず、いかに実現すべきかだけを考えている。そしてついにはロシアの大平原で、その当時世界最強のコサック騎兵を撃破するにいたる。
バルチック艦隊撃破の作戦を立て、それを実行した真之に至っては、生家の貧しさから間引きの危機から逃れ、兄好古のとりなしによって世間に埋もれてしまう窮地を脱出するという運命の中から、なぜか海軍の中枢に入っていく。
幼なじみの子規と真之の交流は、実にカラリとしており、男の交わりはかくあるべしか?
お互いに飛び切りの才能を持つ男の交流はべたべたせず、このようになるのであろう。
この中で描かれる公人としての表情とは別に、おかしみのある私人の顔も意外ではあるが面白い。
好古と真之の生活において、茶碗が一つしかなく、真之が飯を食い終わるのを待って、その茶碗で好古が酒を飲む。早く酒を飲みたい好古が「早く食え!」と言うあたりは笑えてくる。
ここでこの3人に共通する1点がある。
それは、金銭欲、物欲、出世欲が感じられないということ。
まあ茶碗ぐらいは2つあってもいいとは思うのだが、人は何のために生きるのか?いや自分は何のために生きるのかをどう自分で決めていくのか?を常に無意識に考えていかねばならないということなのだろう。
それは、どの選択が正しい、間違いということではない。
今年は、この時期に関する読書が多くなったせいがあるのか、めっきり物を買わなくなった。(パイプ以外は)
服に至っては1枚も買っていない。それでどうもないものである。
しかし、日清戦争の情景で、当時は海戦を観戦することが出来たという部分があり、さすがに驚いた。まだ戦争が芸術であったのだろうし、のんびりした時代だったのだろう。今の戦争はテレビゲームに近いものになっている。
2004年11月14日
司馬遼太郎「明治という国家」
明治という国家は、透明でリアリティーにあふれていた。
幕末から明治にかけての動乱期、勤皇であるか佐幕であるか?薩摩閥であるか長州閥であるか?驀臣であるか?主義主張、立場は別にして、この時代の煌くような偉人たちに共通していたことは、「国のために死ねる。」ということであったと思う。
共通する純粋さを胸に、彼らは子供のように時代を駆け抜けた。
この一点において彼らは血を分けた兄弟であったと思う。
どのような本を読んでも、私はこの時代の人々に不純物を感じることができない。
常に「死」を意識しながら、常に「国家」を考え、生き抜けた時代なのだ。
明治国家の黎明期を過ぎ、日清、日露戦争、ポーツマス講和条約までの日本は世界に誇る偉大な国家であった。
あまりスポットライトはあたらないが、明治天皇でさえ海外での評価は、「これが日本でなければ大帝の称号を与えられていただろう。」というものである。
この集大成が日露戦争であった。
その前の日清戦争でも、定遠、鎮遠という世界最高水準の戦艦を有する大国「清」に勝利を収めたが、これはやはり没落寸前の大国に共通する「士気の低下」によるものであった。
それに比べロシアは国力、世界に対する影響力とも比較にならない超大国であり、これに勝利をしたということは、第二次世界大戦において日本が単独で連合国に勝利するよりも困難なことだった。
そして、この勝利への道のりも見事であった。
陸軍における203高地の奪取、旅順港の封鎖、バルチック艦隊の補給を立ち、日本海における敵前大回頭による撃破。
ここで、広大なロシア本土に侵攻することなく、外交によりルーズベルトに仲介を依頼し、ポーツマス講和条約で勝利を確実なものとする。
ここで子爵、金子堅太郎枢密院顧問などは、ルーズベルトが側近にもしらせない機密をもらせるほどの信頼を彼から得ている。
もちろん日本本土、国民には全く被害がなかった。
腹の据わった大将たちが綺羅星のごとく居並び、そのもとで秋山兄弟のような純粋無垢な才能が、縦横無尽にロシアの平原を、大海原を駆け巡る。
日本の国家がひとつの家族であれた唯一の時代だったと思う。
ここで忘れてはいけないことは、「日本は外交下手」とよく言われるが、開戦までに日本は十分な準備を行っていることだ。
明石工作といわれる明石元二郎大佐の行った諜報活動においては、当時のお金で100万円、現在の貨幣価値にして約80億円の費用を使い、ユーラシア大陸における情報収集、ロシア内部の撹乱までおこなっているのだ。
決して、無謀な戦争ではなかった。
ただ、戦争の大義においては疑問視されているが、このまま日本の国家が成熟していったとすれば、日本は素晴らしい近代国家となったはずであるのに、どこで道を踏み外してしまったのか?
この時代が大好きな私は、残念・・・というより、悔しくてならない。
国家は大きな家族なのだ。
いつの時代も、家族のために命を張れない人間など価値はない。
「言葉」を操るだけで一生を終えてしまう人たちのなんと多いことか。
幕末から明治にかけての動乱期、勤皇であるか佐幕であるか?薩摩閥であるか長州閥であるか?驀臣であるか?主義主張、立場は別にして、この時代の煌くような偉人たちに共通していたことは、「国のために死ねる。」ということであったと思う。
共通する純粋さを胸に、彼らは子供のように時代を駆け抜けた。
この一点において彼らは血を分けた兄弟であったと思う。
どのような本を読んでも、私はこの時代の人々に不純物を感じることができない。
常に「死」を意識しながら、常に「国家」を考え、生き抜けた時代なのだ。
明治国家の黎明期を過ぎ、日清、日露戦争、ポーツマス講和条約までの日本は世界に誇る偉大な国家であった。
あまりスポットライトはあたらないが、明治天皇でさえ海外での評価は、「これが日本でなければ大帝の称号を与えられていただろう。」というものである。
この集大成が日露戦争であった。
その前の日清戦争でも、定遠、鎮遠という世界最高水準の戦艦を有する大国「清」に勝利を収めたが、これはやはり没落寸前の大国に共通する「士気の低下」によるものであった。
それに比べロシアは国力、世界に対する影響力とも比較にならない超大国であり、これに勝利をしたということは、第二次世界大戦において日本が単独で連合国に勝利するよりも困難なことだった。
そして、この勝利への道のりも見事であった。
陸軍における203高地の奪取、旅順港の封鎖、バルチック艦隊の補給を立ち、日本海における敵前大回頭による撃破。
ここで、広大なロシア本土に侵攻することなく、外交によりルーズベルトに仲介を依頼し、ポーツマス講和条約で勝利を確実なものとする。
ここで子爵、金子堅太郎枢密院顧問などは、ルーズベルトが側近にもしらせない機密をもらせるほどの信頼を彼から得ている。
もちろん日本本土、国民には全く被害がなかった。
腹の据わった大将たちが綺羅星のごとく居並び、そのもとで秋山兄弟のような純粋無垢な才能が、縦横無尽にロシアの平原を、大海原を駆け巡る。
日本の国家がひとつの家族であれた唯一の時代だったと思う。
ここで忘れてはいけないことは、「日本は外交下手」とよく言われるが、開戦までに日本は十分な準備を行っていることだ。
明石工作といわれる明石元二郎大佐の行った諜報活動においては、当時のお金で100万円、現在の貨幣価値にして約80億円の費用を使い、ユーラシア大陸における情報収集、ロシア内部の撹乱までおこなっているのだ。
決して、無謀な戦争ではなかった。
ただ、戦争の大義においては疑問視されているが、このまま日本の国家が成熟していったとすれば、日本は素晴らしい近代国家となったはずであるのに、どこで道を踏み外してしまったのか?
この時代が大好きな私は、残念・・・というより、悔しくてならない。
国家は大きな家族なのだ。
いつの時代も、家族のために命を張れない人間など価値はない。
「言葉」を操るだけで一生を終えてしまう人たちのなんと多いことか。
2004年11月07日
ダン・ブラウン「ダ・ヴィンチ・コード」
文句なしに面白い。
一気に読んでしまった。ページが残り少なくなると読み終えるのが惜しいぐらい。
しかし、「最後の晩餐」の絵の二つの謎・・・キリストの横に女性がいること、全く余分なナイフを持った手が一本描かれていること・・・今まで気づかなかった。
私の思う面白いミステリーの条件@格調高く、上品であること。AアクションはほどほどB理解できるぎりぎりのチョット上の知力、知識を必要とすることB歴史をからめるなどの条件を兼ね備えている。
しかし、最近思うのです。キリストもマホメッドも今の世界を見たら「私はこんなことを望んではいなかった」と言うんじゃないかな?
コーランも聖書もご本人たちが書いたものではないし、きっと後世の人が勝手な解釈で作った部分はかなり多いんだろうな。
孔子はキリストの前の人だし、その言動は「論語」にまとめられ、「儒教」と言う一応の宗教なんだが、彼の思想は決して争いの種にはならなかった。
「思想」と「宗教」の違いはどこにあるのだろう?
歴史を振り返っていえることは、「一神教」はろくな結果を生まないということでしょう。
この辺で、「八百万の神々」の思想で日本が出て行かないと。
草木すべてに神はあり、全てを認め合った世界を作りましょうとね。
パパブッシュとバカブッシュに牛耳られていたのでは、憎悪の連鎖が止まらない。
一気に読んでしまった。ページが残り少なくなると読み終えるのが惜しいぐらい。
しかし、「最後の晩餐」の絵の二つの謎・・・キリストの横に女性がいること、全く余分なナイフを持った手が一本描かれていること・・・今まで気づかなかった。
私の思う面白いミステリーの条件@格調高く、上品であること。AアクションはほどほどB理解できるぎりぎりのチョット上の知力、知識を必要とすることB歴史をからめるなどの条件を兼ね備えている。
しかし、最近思うのです。キリストもマホメッドも今の世界を見たら「私はこんなことを望んではいなかった」と言うんじゃないかな?
コーランも聖書もご本人たちが書いたものではないし、きっと後世の人が勝手な解釈で作った部分はかなり多いんだろうな。
孔子はキリストの前の人だし、その言動は「論語」にまとめられ、「儒教」と言う一応の宗教なんだが、彼の思想は決して争いの種にはならなかった。
「思想」と「宗教」の違いはどこにあるのだろう?
歴史を振り返っていえることは、「一神教」はろくな結果を生まないということでしょう。
この辺で、「八百万の神々」の思想で日本が出て行かないと。
草木すべてに神はあり、全てを認め合った世界を作りましょうとね。
パパブッシュとバカブッシュに牛耳られていたのでは、憎悪の連鎖が止まらない。
村上春樹「アフターダーク」
東京のインプラントシンポジウムに行く時、新幹線の中で読むために買った。
32分で読了。
今年読んだ本の中で、一番くだらない本だった。
どこがくだらないかを記述するのもくだらないほどくだらない。全く内容が無い。
村上ワールドにお決まりの、ちょっと変わった女の子、精神を病んだ美少女、全くアクのない青年、強面の気のいいオネエサン、深夜のバー、中国人などお決まりの登場人物で構成されているが・・・
「1973年のピンボール」も全く内容は無いが、私は好きだった。おしゃれだもの。
しかし、全くこの小説にはよい雰囲気のかけらも無い。
この本は本文を印刷しなければ価値があるのに。
メモには使えるからね。
32分で読了。
今年読んだ本の中で、一番くだらない本だった。
どこがくだらないかを記述するのもくだらないほどくだらない。全く内容が無い。
村上ワールドにお決まりの、ちょっと変わった女の子、精神を病んだ美少女、全くアクのない青年、強面の気のいいオネエサン、深夜のバー、中国人などお決まりの登場人物で構成されているが・・・
「1973年のピンボール」も全く内容は無いが、私は好きだった。おしゃれだもの。
しかし、全くこの小説にはよい雰囲気のかけらも無い。
この本は本文を印刷しなければ価値があるのに。
メモには使えるからね。


