2010年04月26日

嵯峨大念仏狂言#8

嵯峨大念仏狂言#7より続く

さて本日の最終公演。
演目は「土蜘蛛」。

土蜘蛛
登場人物:頼光、土蜘蛛、綱、保昌、太刀持

頼光は気分が勝れず憂うつな面持ちで家来たち(綱、保昌)と酒宴を開くが、その場で床についてしまう。
家来たちが控えの間に去った後、土蜘蛛が現れ太刀廻りとなるが、蜘蛛は逃げ去る。
家来たちは騒ぎを聞いて駆けつけ、頼光は彼らに蜘蛛退治を命ずる。
綱と保昌は松明を持ち、屋敷内を探る。
まず綱が土蜘蛛とでくわし太刀廻りとなる。結局土蜘蛛は逃げ出し、綱は後を追う。
続いて保昌が土蜘蛛に遭遇し やはり太刀廻りとなる。
土蜘蛛は逃げようとするがそこに現れた綱と保昌に挟み撃ちにされ激しい太刀廻りのすえ 首を取られる。
勝利した綱と保昌は意気揚々と引き上げてゆく。


頼光登場


綱 保昌


これが土蜘蛛


立ち回りが始まった。おなじみの「シャー」。
この演目は壬生狂言にもあり、京都の人は、「土蜘蛛・・・ほらあのシャーッとでるヤツ」と言えば通じる。


これがシャーの残骸。
保存会の人の話だと、手造りらしいが、これを作る人が入院してしまって大変らしい。
一つ5000円ぐらいするとのこと。
細いテープの先に小さな小さな鉛の重りがついており、それできれいに飛んでいく。
ちなみにこの子も役者さん。餓鬼の役などをするらしい。

嵯峨大念仏狂言#9に続く
 
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2010年04月21日

嵯峨大念仏狂言#7

嵯峨大念仏狂言#6より続く


第二回目の公演は「大黒狩」

大黒狩
登場人物:旦那、供、坊主、女(大黒)

坊主と女が相合い傘で子供を抱いて帰ってくる。
旦那と供は、お釈迦様を拝みにやって来る。
供が坊主に頼んでお釈迦様を拝むが、扉越しで物足りない。
それで開帳するよう頼む。少ししか開 かないのでおかしい。
中に大黒がいると旦那が気づき、不届きな坊主を括るように供に命じ、開帳と同時に身ぐるみはいで括り、寺を追い出す。

この嵯峨大念仏狂言は春と秋に公演があるが、その他にも公演をする時があるので、嵯峨野散策を兼ねて一度見にいらしては?

○春季公演
原則として毎年4月の第一日曜日、第二土曜日、第二日曜日に開催されます。
通常は1日に三番の演目が上演されますが、一日目最初の最初の演目を「花盗人」、 三日目の最後の演目を「餓鬼角力」とするのが定番となっています。

○秋季公演
清凉寺大念仏会の創始者・円覚上人の命日である10月26日に近い日曜日に開催されます。
公演の前には清凉寺裏手の元地蔵院の墓地にある上人の墓に保存会の会員が墓参に訪れます。
ここでも、上演されるのは原則として三番です。

○清凉寺お松明式
釈迦如来入滅の陰暦2月15日にちなんで毎年3月15日に開催される清凉寺の涅槃会とお松明式 にあわせて開催されます。
狂言の上演が終わってしばらくすると、お松明のおねりと点火が行 われます。

○嵐山紅葉祭り
毎年11月の第二日曜日、渡月橋上流で開催されるお祭りです。
洛西のさまざまな文化や芸能 を紹介する数々の舟が、大堰川に浮かびます。
原則として午前と午後に同じ演目が一回ずつ 上演されます。

○この他にも、出張公演などが不定期に行われます。


飼い主と一緒に鶏も熱心に鑑賞中。

嵯峨大念仏狂言#8に続く

 
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2010年04月20日

嵯峨大念仏狂言#6

嵯峨大念仏狂言#5より続く


狂言の公演は、1時半 2時半 3時半の3回。
現在1時。ちなみに無料である。


公演に先立ち、説明がある。

  
第一回の公演は「花盗人」。

花盗人
登場人物:旦那、供、盗人

旦那と供が花を眺め、花を切って帰ろうとするが、切った花を泥棒にとられてしまう。
返してもらおうと、いろいろ手だてを尽くすが、すべて取られてしまう。
旦那が考えて、供に縄をなわせ、自分が泥棒を捕まえる。
供は縄で泥棒を括ろうとするが、間違って旦那 を括り泥棒を逃がしてしまう。
旦那が怒って、横槌を振り上げ供を追い立てて退場する。

公演の最中に椿事。

近所の方だろうが、自転車のハンドルに鶏をとまらせて、見物に来られた。
またこの鶏が、上手にバランスをとって落ちないのだ。


このおねえさんは保存会の方。
珍しいので、見に行ったらおじさんがひょいと鶏を頭に載せた。
よく慣れた鶏で、頭の上でじっとしている。

嵯峨大念仏狂言#7に続く

 
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2010年04月16日

嵯峨大念仏狂言#5


嵯峨大念仏狂言#4より続く


落柿舎近くまで降りてくると、ひなびたうどん屋さんがあった。


誰もいない。
「すみませーん。」

・・・・・・

しばらく待っていると、ゴトゴトと音がしておばさんが出てきた。

「いいですか?」
「いいですよ。」


きつねうどんを注文。
それと、この日は汗ばむほどの陽気だったのでつい・・・・
まあ、狂言に出演するわけではないし。

「さっき嵐山に行ってきたけど、すごい人で。」
「このあたりは静かですねー。」
「こっちまで人は来てくれへんのです。」


帰り道に美味しそうな和菓子屋さんがあった。
のぞいてみると、大好物の桜餅を発見。デザート デザート。
この桜餅は今まで食べた桜餅の中で3本の指に入る。


さて清涼寺に帰着。
準備万端。

嵯峨大念仏狂言#6に続く

 
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2010年04月15日

嵯峨大念仏狂言#4


嵯峨大念仏狂言#3より続く


もう少し時間があるので、化野念仏寺まで足をのばす。

  

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伝承によれば弘仁2年(811年)、空海が五智山如来寺を建立し、野ざらしになっていた遺骸を埋葬したのに始まるとされ、後に法然が念仏道場を開き、念仏寺となったという。
本尊は阿弥陀如来像(寺伝に湛慶作というが実際の作者は不明)、本堂は江戸時代の正徳2年(1712年)に寂道により再建されたもの。
境内の約8000体という夥しい数の石仏・石塔は、明治36年(1903年)頃に、化野に散在していた多くの無縁仏を掘り出して集めたものである。境内には水子地蔵もあり、地蔵菩薩の縁日には水子供養が行われている。
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おびただしい石仏。

境内に奉る多くの石仏・石塔は往古あだしの一帯に葬られた人々のお墓である。
何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだしのの山野に散乱埋没したいた。明治中期に地元の人々の協力を得て集め、釈尊宝塔説法を聴く人々になぞらえ配列安祀してある。
賽の河原に模して「西院の河原」と名付けられた。


西院の河原から奥へ行くと、こんな竹林の中の道がある。
ほとんど人は居ず静かだ。
この写真を撮っていると、降りてきた中年のご夫婦が、「撮りましょか?」と声をかけてくれた。
やはり日本はいい国だ。


上がるとこんな風景。


本堂にこんな言葉が貼ってあった。
最近の自分の記憶力、体力の低下を鑑みて反省。

そろそろ昼食をとって、狂言の公演の準備に戻らなければ・・・

嵯峨大念仏狂言#5に続く

 
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2010年04月14日

嵯峨大念仏狂言#3

嵯峨大念仏狂言#2より続く


とことこと坂道を歩いていく。


石段を上がると祇王寺
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元々は浄土宗の僧・良鎮が創建した往生院の跡を引き継いで今日に至る。
また、平家物語には平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前が出家のため入寺したとしても知られている。

その後往生院は衰退をたどり、明治時代の初期に一時廃寺となるが、嵯峨大覚寺の支配を受け真言宗に改宗し、1905年(明治38年)に富岡鉄斎らの尽力もあって復興を遂げた。

苔の庭でも知られる。
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入口近くに猫がいた。
祇王寺の猫は有名らしい。→祇王寺の水先案内猫
この日は白い猫ではなかったが。

  
苔が美しい。


竹林は清々しい。

  
日本では花と言えば桜だが、中国で花と言えば牡丹である。

  
祇王寺のなか。
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清盛は天下をとっている時、意表をつく振る舞いをすることがあった。
当時、京都で有名であった白拍子に祇王・祇女という姉妹がいたが、祇王を召し、祇女や母のとぢにもいい生活を送らせていた。
祇王の隆盛は大変なもので、うらやむ者やそねむ者があり。うらやむ者は祇一と祇二、祇福、祇徳というような者もいた。

そして、三年がすぎたが、京都に加賀国出身の白拍子で歌の上手なものがでてきた。名前は仏、年齢は16である。
「昔よりおほくの白拍子ありしが、かゝるまひ(舞い)はいまだ見ず。」と京でもてはやされた。
仏御前は、「私が清盛公に呼んでいただけないのは残念です。邸のあがってみましょう。」と清盛の邸へ行って案内を求めた。
清盛は一度は断ったが、祇王が、

「あそびもののすいさん(推参)はつねのならひでこそさぶらえ。…御対面さぶらえ。」ととりなした結果、会うことになった。仏は、

君をはじめてみるおりは千代も経ぬべしひめこ松

おまへの池なるかめおかに鶴こそむれゐてあそぶめれ

と今様を歌い、舞いを舞った。
仏御前は美しい人で声も歌もよかったので、清盛はたちまち気に入って、御前が断ったが、
「…祇王があるをはゞかるか。その儀ならばぎわう(祇王)をこそいださめ。」
と祇王を追い出してしまった。

祇王は一首の歌を残して去った。

もえ出るもかるゝもおなじ野邊の草いづれか秋にあはではつべき

 翌年の春、清盛は仏御前をなぐさめるために祇王を呼んだ。
祇王はしかたなく妓女と出向いたが、下座に通され、仏が清盛の抗議をしたがいれられず、そのまま今様を歌わせた。

仏もむかしはぼんぶ(凡夫)なり我等も終(つひ)には佛なり

いづれも仏性具せる身をへだつるのみこそかなしけれ

祇王は帰った後、祇女とおやのとぢもろとも出家した。

その年の秋の夜、三人の家を訪ねてきたものがある。
戸を開けると、そこには仏御前がいた。

「…女のはかなきこと、心ううとこそこそさぶらひしか。(祇王におこったことが)いつかわが身のうへならんと思ひしかば、
…その後はざいしよ(在所)を焉(いづく)ともしりまいらせざりつる、かやうにさまをかへて、ひと所にとうけ給わつてのちは、あまりに浦山(うらやま)しくて、
つねに暇(いとま)を申(まうし)しかども、入道殿さらに御もちいましまさず。…つくづく物を案づるに、
娑婆の栄花は夢のゆめ、楽みさかえてなにかはせむ。
…けさまぎれ出て、かくなつてこそまいりきたれ。」

と尼になった姿を見せた。

その後は四人いっしょに仏前の花を具え、念仏を唱えてみな往生した。御白河法皇の過去帳にも四人一緒にいれられている。
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右が平清盛公慰霊塔、左が祇王の墓。

さてもう少し

嵯峨大念仏狂言#4に続く

 
 
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2010年04月13日

嵯峨大念仏狂言#2

 
嵯峨大念仏狂言#1より続く

さて2時間ほど時間がある。どこへ行こうか?

  
桜は満開。

  
嵯峨野の花々。桜もいいけどこんなのもいい。


とりあえず歩いてみる。
嵐山はすごい人出だろうが、嵯峨野は静かだ。


菜の花も満開。


菜の花畑の前に、落柿舎がある。
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落柿舎(らくししゃ)は、嵯峨野(京都府京都市右京区)にある松尾芭蕉の弟子、向井去来の別荘として使用されていた草庵。
去来がこの草庵について書いた「落柿舎ノ記」がある。
古い家の周囲には40本の柿の木があったという。

庭の柿を売る契約をしたのちに、柿がすべて台風で落ちてしまったためこう呼ばれている。
1691年(元禄4年)4月から5月までここに松尾芭蕉が滞在して嵯峨日記を著した。
野沢凡兆(ぼんちょう)、凡兆の妻の羽紅(うこう)、去来が訪ねてきて一つの蚊帳で5人が一緒に寝たりしている。
現在の庵は俳人井上重厚による再建である。場所も建物も芭蕉の時代のそれとは異なっている。
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中学生の時に、姉が京都に旅行に行きたいと言い出し、それについてきた。
その時に見たこの蓑をまだ覚えている。34年前のこと。
京都に住みだして25年だが、それ以来だ。

さて次はどこへ行こうか・・・・・

嵯峨大念仏狂言#3へ続く

 
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2010年04月12日

嵯峨大念仏狂言#1

 
嵯峨の清涼寺に来ている。
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清凉寺(せいりょうじ)は、京都府京都市右京区嵯峨にある浄土宗の寺院。山号を五台山(ごだいさん)と称する。
嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)の名で知られ、中世以来「融通念仏の道場」としても知られている。
宗派は初め華厳宗、後に浄土宗となる。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は「然(ちょうねん)、開山(初代住職)はその弟子の盛算(じょうさん)である。
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このお寺で嵯峨大念仏狂言が行われる。
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嵯峨大念仏狂言は、京都市街の北西に位置する清凉寺境内の狂言堂で年に数回開催されます。
私たちがよく知る能楽の狂言と嵯峨の「大念仏狂言」とはだいぶ様子が違います。その特徴は、

狂言師というプロが行うのではなく、演者も囃子も裏方もすべて民間人の手で行われていること
すべての役者が面をつける「仮面劇」であること
セリフのない「無言劇」であること
「融通念仏」と「大念仏会」に連なる宗教的な背景を持っていること
などがあげられます。
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私が所属している団体でこの狂言を支援している。
そのお手伝い。


これが狂言堂。
舞台は建物の二階。客席は屋外である。

 
午前10時より会場設営。
パンフレットなどのグッズの販売もお手伝いをする。


これが舞台の1階。


準備が完了した。
第1回の公演は1時30分からなので、久しぶりに嵯峨野を散策してみよう。


狂言堂横の門から、この道をまっすぐ歩いていくと化野念仏寺まで20分ほど。
良い季節だし。

嵯峨大念仏狂言#2へ続く

 
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2010年04月09日

祝辞


昨夜、ある団体の会合に出席していた。
結成記念日のお祝いだったので、来賓の祝辞がいくつか・・・・
 
長い・・・・・

そこで思った。

外国人のスピーチは、聴衆に聞かせるためにされる。
日本人のスピーチは、自分の喋りたいことを聞かせるためにされる。


  
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2010年01月14日

エクシブ鳴門#3


エクシブ鳴門#2より続く

さて披露宴


幸せにな。


披露宴は両親の兄弟関係のみ。30人足らず。
こんなのもいいもんだ。
甥の友達は全国に散らばっているので、友達関係の披露宴はまた別にするのだそう。


人数が少ないので、料理長がアワビの蒸し焼きのパフォーマンス。


左が母親(姉ちゃん)。これをラストバイトというのだそうだ。
もう食べさせるのは終わりということ。

 
娘がビオラで一曲披露。トトロの時計をもらった。


祖母ちゃんはもう満ち足りている。


新郎の挨拶。私もついこの間こんなことをした。
あれから21年経つのか〜。光陰矢の如し。

いろいろなことがあるだろうが、全てを楽しんで、悔いのない人生を送りなさい。







 
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2010年01月13日

エクシブ鳴門#2

エクシブ鳴門#1より続く

鳴門に来ている理由

この甥の結婚式。
よくオシメを換えてやったコイツが嫁さんをもらうとは。
ちなみにプールサイドでの挙式・・・・・ということは?

  
バージンロードから新郎へ


景色は大変よろしい。
本人たちにとっては一生の思い出になるだろう・・・・

けど、いくら徳島とは言え1月10日である。
さっさぶい!

  
早よせい。さぶい。

  
恒例のフラワーシャワー。


祖母ちゃんは泣いてばかりである。
よかったな。

エクシブ鳴門#3に続く

 
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2010年01月12日

エクシブ鳴門#1


鳴門の海


エクシブ鳴門に来ている。御招待。
私の実家は徳島。

 
敷地が広いので、大浴場に行くにも朝食に行くにも施設内を走っているシャトルで移動しなければならない。
私の母親は車イスなので、専用の車両を用意してもらえる。


母親は徳島に住んでいる姉のところにいる。
お世話は久しぶりに会った孫(私の子供たち)たちがする。
ちなみに息子がはいているジーンズは私のお下がり。年は取るものだ。

なんで鳴門にきているか?

エクシブ鳴門#2に続く・・・
 

  
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2009年12月04日

いろいろと


今週ある方から、ある話が持ち込まれました。
いろいろ調査中。

じっくり考えないと・・・・・・
こんなことになったら嫌だし。



 
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2009年11月24日

天国へ行ったKさん

この3連休は東京で講習を受けていました。
日曜日の午前の部が終了し、昼食をとっていた時、私の携帯が鳴りました。
「ひょっとして急患?申し訳ないけど、今日は診てあげられないなぁ。」と思いながら出てみると家内からでした。

「Kさんが亡くなったって女将さんから連絡があった。(丸岡は)おらんて言ったら、香典立て替えとこかって。今日お葬式。」

この記事に書いたKさんが亡くなった。
口からは何も食べられない状態だったので、この冬は越せまいと思ってはいたのですが急でした。
一度娘を連れてと思っていたのですが、間に合いませんでした。

昨夜帰ってからKさんと共通の知人だったR姐さんに電話をしました。
「落ち着いてたんで、そろそろ一度退院ってなってたんやけど急やった。」

Kさんゆっくり休んでね。
水も飲めないのは辛かっただろうね。天国印のビールいっぱい飲みながら、上から見ててね。

今年は周囲で3人の人が亡くなりました。
30歳台が一人、50歳台が二人。
いわゆる天寿を全うしてという年齢ではありません。
いろんな思いがあったでしょう。

今日生きていられることが一番の幸せ。
そう思わなくては。

 
 


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2009年11月16日

トンデモ119番通報#1

こんな119番通報があることはよく報道される。

救急車をタクシー代わり 減らない札幌市の"トンデモ119番

なんと言ってもタダだからだろう。ただ、タダより高いものはないのだが。
これからの話はこんな例とは違う。

かなり以前の話だが、私の病院があるマンションに一人の男が住んでいた。
そのころ頻繁に救急車がマンションの前に止まっていた。
ある日出勤すると、また救急車が止まっており、先代の管理人さんがその男を怒鳴りつけていた。

「おまえなぁ!死ぬ死ぬって何回も救急車呼んで、どんだけの人に迷惑かけてるかわかっとんのか!」

狂言だったのだ。

それからしばらくして、休日に大丸で買い物を済ませ、帰ろうと出口に向かった。
正面玄関の横にインフォメーションカウンターがある。
カウンターの中には、きれいなオネエサン2人と中年の社員が立っている。
しかし、こちらを見ているその3人の表情が奇妙なのだ。どうおかしいか?

目がテン

絵に描いたような・

目が点で私のほうを見ている。なんだなんだ?私が何かしたのか?
そこで振り向くと、私の後ろにその狂言男がいた。そして・・・・・



こんな感じ。山海塾の暗黒舞踏をしながらゆっくりとカウンターのほうに近づいて来ていた。ちなみに衣装までは着ていないが。
そりゃ、目がテンになるわな。
精神を病んでいたのだろう。

続く


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2009年10月29日

N技工士


昨日私がクラウンやブリッジの作成をお願いしているY技工所のYさんがお見えになった。

「先生。こちらにもよせてもらったことのあるNが亡くなりました。」
と言われた。

N技工士

事情をお伺いすると、朝出勤しないので一人暮らしの部屋に行ってみたところ、鍵が掛っていたため、通勤途中に事故にでもあったのかと思い、実家に連絡をしてお母さんに来てもらった。
鍵を開けて入ってみると、もうその時には亡くなっていた。
死因は、内臓からの出血。
前日まで大変元気にしていたとのこと。

まだ30代半ば。
真面目で穏やかな好青年だった。
悲しい話である。

お母さんの悲しみはいかほどだろう?

N技工士のご冥福をお祈りする。


「人はいつ死ぬかわからない。
朝起きて今日も命があったと思う。
だから、今日、精一杯生きる。 」

          ロレンツォ・デ・メディチ

  



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2009年10月22日

みんな厳しい

内田樹先生のお友達の平川克美さんのカフェ・ヒラカワ店主軽薄にこんな記事が

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仕事がない!

仕事がない!
俺のことではない。個人的にはあれこれとご注文頂くのであるが、俺が関係している会社への注文が夏以来ピタリと止まってしまっている。
これで、この冬を乗り切っていけるのだろうか。
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平川さんのとこでもそうなのかぁ。



S氏の相場観より
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軟化する鳩

しかし、今の日本は本当に大変な事態に直面しているのです。最近は株価も上昇し、何となく何とかなりそうな気がしている人も出てきているかもしれませんが、事態は本当に大変な事になってきております。
民主党にはそれを解決するつもりはなさそうですし、解決できる力もないでしょう・・・。
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ウオール街ではまた高額の報酬が問題になっており、オバマ大統領は規制するらしい。
確かに実体経済は底が見えず失業者も増えているのに、証券業界だけが好況ということはあり得ないはず。
つまり、バブル。
ということは、それがはじけたら一体どうなるのだろう?



米国、ドル安にならなければ新たな危機=コノリー・グローバル
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同氏は「現在の水準から少なくとも25%のドル下落が必要。ただ、かなりの抵抗が予想され、実行は不可能」と述べた。
その上で、大幅なドル下落や民間部門の回復がない場合、「FRBが、米国債と政府機関債を含む2兆ドルの債券を追加購入する必要が出てくる」と語った。
年初から世界的に株価は大幅に上昇、MSCI世界株価指数は20日、13カ月ぶり高値をつけた。商品市況も堅調で、金は過去最高値圏で推移している。
ただ、同氏は、リスク資産の回復と実体経済の間に関連性はないとし、「金融市場は、再びはじける新たなバブルに向かっている」との見方を示した。
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厳しいなぁ。


でこれは私が時々お邪魔する祇園のバーのマスターのブログ
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こんな所にも影響が…

当店の常連客にGPSの魔術師がいる。
なんのこっちゃ!
GPS測量の達人がいらっしゃるのだ!
そのGPS測量の腕と経験をかわれた達人はこの11月から南極昭和基地増築工事の測量依頼が文部科学省からあったのだ!
普段はオモロイおっさんやのにそっちの世界では日本でも1・2の技術を持っているのだ。

その達人から今朝電話があった。

「わたる、南極中止や!」

よく説明を聞くと、この度民主党の予算見直しの煽りを受けて文部科学省から南極昭和基地増築工事が延期になったと言うのだ。
お国からのお達しだからどうしようもない!
私の身近にも予算見直しの影響を受けている人がいるのにビックリだ!
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このGPSの魔術師には何度かお会いしたことがある。
南極行きの話は夏のビヤガーデンでおうかがいした。
南極話を楽しみにしていたのだが残念である。

この前、患者さんが、
「不景気や〜。あかんわ。ええのは医者だけや。」
とおっしゃっていたが、しかし・・・・・



病院もこんな状況。(医療機関向けのある雑誌の特集の見出し)
私の病院は何の影響も受けず安泰・・・・・と言いたいところだが・・・・・



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2009年10月14日

誤り


 

今日は8時に病院に来ていた。
すると突然消防車が前に止まった。

えっ! なんだなんだ?
また上の階で火事か?

この前は、お芋が焼けた

朝から放水でもされたらかなわんなぁ。

で、消防無線を聞いていると、

「えー。警報機を誤って作動させた模様。」
「了解。」
「復旧は、警備員ですか?」

当院が入っているマンションの管理人さんは、患者さん。
大変だったろう。

気をつけて下さいね。

 

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2009年10月06日

中川昭一氏死去

中川昭一さんが亡くなりました。
過去のことはさておき、私が好きな政治家の一人でした。
拉致家族の皆さんも悲しんでいます。

中川昭一氏死去 拉致解決へ「強い力失った」
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拉致議連会長を務めるなど拉致問題に熱心に取り組んできた中川昭一氏。拉致被害者家族らの信頼がとりわけ厚かった。家族らからは「強い力を失った」と落胆の声が漏れた。

横田めぐみさん=拉致当時(13)=の父、滋さん(76)は、9月中旬に中川氏から総選挙落選について「力及ばず申し訳ない」とわびる手紙を受け取っていた。

直筆で便箋(びんせん)1ページ半。「拉致問題は引き続きやっていきたい。またお目にかかれることを楽しみにしています」と書かれていた。「非常に活動に貢献してくれた。『励ます会』をしようと話していたのですが…」と滋さん。

増元るみ子さん=拉致当時(24)=の弟で家族会事務局長の増元照明さん(53)は「涙を流す政治家に初めて会った。情の深い方だった」と振り返る。平成14年10月に拉致議連会長に就任したばかりの中川氏と会食した際、「『議連に何をしてほしいか』と熱心に聞いてくれた姿が印象的だった」と話す。

中川氏の自宅に招かれた際には、父、一郎さんの位牌(いはい)の前で涙を流しながら拉致問題解決を誓った姿を目にしたという。
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まだ幼かった頃ですが、お父さんの中川一郎さんが無くなった時のニュースを憶えています。
何が起こったのでしょうか?



弔問に訪れた亀井静香さんはずっと泣いていたようです。
中川氏死去 「断酒宣言、ストレスだったのかな」政治評論家の三宅氏
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三宅氏によると、自宅内では弔問に訪れた麻生太郎前首相が沈痛な表情を浮かべ、亀井静香金融・郵政改革担当相がおえつをもらした。三宅氏は「(亀井氏は遺体と)長時間対面し、一番おえつしていた。ずっと同士だったから」とおもんばかった。
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ニュースを見ていると、中川さんの自宅から出てきてもずっと泣いていました。
亀井さんは国会議員としてはどうかなぁと思うときもありますが、これが死者を悼む気持ちだと思います。
近所の皆からは好かれるような、心優しいおっさんなんでしょう。
今の時代、こんな大臣がいてもいいのだろうと思いました。

<亀井金融担当相>「家族間の殺人事件増加」で経団連を批判
(この意見に賛成しているわけではありません)

 
  
posted by maruoka-yoshimitsu at 08:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月03日

食道がん#4


食道がん#3より続く

「木屋町も変わったなあ。」
「また新しいイタメシ屋もできた。ええ店で2回ぐらい行った。」
「そうなん。」
「Uの2軒下」
「へー」

「うち(ラーメン屋)も韓国の『京都大阪神戸』のガイドブックに載って、外国人くるくる。」
「そうなん。」
「お店は奥さんがやってるの?」
「そう。頑張ってるで。でも、今年はあかんかった。去年はよかったんやけどなぁ。」
「それはどこもや。」
「まるちゃんとこは?」
「うちも、今年は悪いよ。」
「へ〜。そんなもんかぁ。」

「Kさん。やっぱり京大がええよ。」
「うん。そうや。ほんでも、ここ広いやろ。」
「そう。俺も迷たわ。帰り、チャリ止めたとこまでいけるか自信ないわ。」
「ははは。ここ(8階)の下に売店があってな。」
「地下やろ。あったあった。」
「そんで、ここ北病棟やけど、南病棟のほうまでずーっといくと、ローソンがあるんや。」
「へー。そんなんあんの?」
「一回見に行こうって思ってな、これ(点滴の装置)引っ張っていったんやけど、なかなか行きつかへん。」
「そんな広いの?」
「800mぐらいあんで。そんで、しんどうなって歩けへんようになった。しゃあないから警備員さんに『8階に電話して、ストレッチャーか車椅子持ってきてもらって』って電話してもろうた。」
「あぁあぁ。迷惑な患者や。」
「このあいだ、廊下でバタッて倒れてな。足に力はいらへん。」
「食べてへんもんなぁ。」
「そしたら、看護師さんらが、ばーって走ってきて。」
「大丈夫やったん?」
「大丈夫やったんやけど、それからもうブラブラせんとってって言われてしもうた。」
「トイレは?」
「小はカップにしてって。」(大きな紙コップが重ねてあった)
「これになぁ。」
「大はトイレいくんやけど。行くときはこれ(ナースコール)押して、誰かに来てもらわなあかん。」
「そうなん。」
「そしたらな。してる間、外で待ってられるんや。」
「はぁ。」
「もう。落ち着いてできへん。」
「ははは。」
「大ぐらいゆっくりさせてよ。」
「くさいな。」

そのうちKさんはもぞもぞと、ふとんを体にかけました。
「Kさん。寒いんか?」
「ううん。大丈夫。」
「そう。」

ふとんをかけたのは、もう疲れてきたのだろうと思い、
「Kさん。なんか要るものあるか?」
「なーんもいらん。」
「そや。今度は写真集やなしに、こーんな大きなフィギュアもってこうか?」
「や、や、やめてや〜。」
「はははは。」
「Kさん。帰る。また来るわ。」
「そう。まるちゃん。楽しかったわ。」

これが、私のお見舞い。これでいいのだと思っています。

帰って娘に、
「Kさんのお見舞いに行くか?見たらショックやと思うけど。」
と聞いてみました。たぶん「行かない」と言うと思いながら・・・・
すると、
「行く。時間合わせて。」と言いました。
少し意外だった。

次の計画は考えてあります。
娘はドアの外で待たせておいて、
「Kさん。Kさん。来たで。今日はやっぱり、大きいフィギュア持ってきた。」
と言って、いきなり娘を見せてみよう。
びっくりするやろなぁ。
posted by maruoka-yoshimitsu at 09:09| Comment(0) | TrackBack(1) | 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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