カート・コバーンはNIRVANA(ニルバーナ)というバンドのメンバーでした。
メジャーファーストアルバム「NEVERMIND」は1991年9月にGeffen Recordsからリリースされました。
これはビルボードの1位を獲得し、90年代最も音楽シーンに影響を与えたといわれているアルバムです。
「Teen Spirit」は90年前半MTVで毎日のように流れ、若い世代はNIRVANAに酔いしれていました。
そのカート・コバーンの人生最後の年、1994年の出来事。
3月4日、ローマにて、自殺未遂をはかり、意識不明に。(3月8日退院)
3月18日、自宅バスルームに、銃を手に自殺すると騒ぐ。警察が到着して、銃を押収して収束。
3月28日、ドラッグ中毒のリハビリ診療所に入院するが、脱走。行方不明に。
4月8日、電気工によって、カートの遺体が発見される。ショットガンによる自殺で、推定死亡時刻は4月5日の午後。
そのカート・コバーンが、シアトルの自宅で頭をショットガンで打ち抜く直前に書いた遺書。
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聴くことにも創ることにも、もう随分長いこと興奮を覚えなくなっていた。
そういったことに、俺は言葉に尽くせぬ罪を感じている。
例えば楽屋にいると会場の照明が落ちて、群衆の狂ったような叫びが聞こえてきても、それは群衆の憧憬の念を愛し、楽しんでいたらしいフレディ・マーキュリーに与えたような影響を、俺には与えないんだ。
そのことは俺が、心から尊敬し、羨ましく思っていたことなんだ。
要するに、俺は君たち誰ひとり騙すわけにはいかないんだ。
君たちにとっても、俺にとってもフェアじやないから。
この思いをごまかして、あたかも自分が100%楽しんでいるかのようなフリをするなんて、俺が考え得る最悪の犯罪だ。
ステージに上がる前に、タイム・カードを押した方がいいんじゃないかと思う時がある。
俺が、そして俺たちがたくさんの人間に影響を与え、楽しませてきたんだという事実を喜べるように、できるだけの努力はしたんだ。
俺はたぶん、独りでないと物事を楽しめないナルシストってやつなんだ。
感受性が強すぎるんだよ。
かって子供の頃に持っていた情熱を取り戻すには、もう少し鈍感になる必要がある、
ここ3回のツアーでは、個人的な知り合いや、俺たちの音楽のファンを、前よりずっとありがたく思えるようになっていた。
それでも俺は、みんなに対する不満、罪悪感、そして同情から脱け出すことができなかった。
人間、誰しも長所がある。
俺はただ、人間を愛しすぎるんだ。
愛しすぎて、あまりにも---情けない---情けなくて、ちっぽけで神経質な、歓迎されない女々しい魚座のジーザス野郎に思えてくる。
いい人生だったよ。
本当にいい人生だった。
ただ、俺は7歳の頃から人間全般に憎しみを抱くようになっていたんだ。
たぶん、単純に俺は人を愛しすぎ、人の気持ちがわかりすぎるからなんだろう。
今までにもらった手紙や思いやりに、焼けただれた腹の底から礼を言うよ。
俺はどうしようもなく変人で気分屋だから、もう情熱を失ってしまったんだ。
覚えておいてくれ。
消え去るより、燃え尽きた方がいいんだってことを。
平和、愛、同情、カート・コバーン
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こういう人生もあるのですね。
私はカート・コバーンの気持ちがわかります。
少し精神構造が似ているのかもしれません。
もちろんドラッグにも走りませんし、自殺もしませんが。
今年も診療はあと2日。
とにかく今日を精一杯生きていくつもりです。



どういうわけか、ここ数日の間にカート・コバーンの遺書を扱ったブログが数件あり、何かきっかけでもあったのだろうか・・・・と思惑をめぐらせてます。
内容の受け取り方は人それぞれですが、彼が「絶望」を感じていたことだけは確かなようですね。
周囲がケアしてどうにかなるレベルではなかったのかもしれませんし、ウチのサイトで取っているアンケートでも自殺を防ぐことは出来なかったとするファンが多いのも事実です。
自殺の原因は自分達では無いのかという贖罪の日々を送るファンも多いです。
まるあさんコメントありがとうございます。
誰も何も罪の意識を持つ必要はないのでは?
カート・コバーンも書いてあるじゃないですか。
「いい人生だったよ。
本当にいい人生だった。」
それでいいのではないでしょうか?
自殺はいけないことでしょうか?
自分の人生なんですから、どうするかは自分で決めてもいいと思います。
体の病気であろうが、心の病気であろうが、苦しんで苦しんで長生きすることが素晴らしいというような風潮・・・・これもマスコミが作った幻影でしょう。
30年で終ることと、80年で終ることに価値の差はないと思います。
どんな状況であっても、「いい人生だった」と思って消えていけることは素晴らしいことですよ。
私の目標はそれだけです。
今夜永遠に目を閉じるとしても、「いい人生だった。みんなありがとう。」と言いたいし、言えると思っています。
まるあさんまた来てくださいね。