いつもこのブログを見ていただいているてらさん、歯抜けさんからコメントをいただいていますので、ここで私の考えを書いてみます。
歯抜けさんからのコメント
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またまた突然失礼します。
>ご自分で自覚症状が無いときにはなかなかわかっていただけない。。。
すっごくわかってるんですよ
でも 抜きたくない
抜かずにどうにかしって勝手な事を思うんです
(*_ _)人ゴメンナサイ
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てらさんからのコメント
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「抜きたくない!」
の気持ちは私もわかります。
理屈では解っているのですが感情の方が…。
こういう場合、
気休めに「何かの処置」をしてもらえる可能性はあるのですか?
延命処置が有効であれば試したい気もします。
以前に「骨」を移植されてましたよね?
あれは、どの程度の患者まで有効な手段なのですか?
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先日、スタッフが誕生日を迎えました。
そのときに、こう聞かれました。
「先生が私の年のときと、今の先生の年とでは何が一番違いますか?」
私はこう答えました。
「それは、『人の違い』『人は実に様々』ということが理解できるようになったことだと思うよ。
そういうと、『そんなこと私もわかっています』と言うと思うけど、その理解の深さが全然違う。」
では、その人をその人と規定するものは何でしょう?
つまり丸岡芳充はなぜ丸岡芳充であるのか?
顔でしょうか?声でしょうか?
では、顔が変わったら丸岡芳充ではなくなりますか?
声が出なくなったら丸岡芳充と認識してもらえなくなりますか?
顔も声も変わってしまって、おまけに四肢も失って全く動けなくなったら?
それでも私は私以外の何者でもありません。
なぜか?
その人をその人と規定するのは『振る舞い』です。
振る舞い方を決定するのはその人の『考え方』です。
その『考え方』を支配するのが『感情』です。
『感情』というと「かなしい」「うれしい」だとか「怒りっぽい」とか「やさしい」というイメージが真っ先に出てきますが、そんな表面的なものの奥にある『心の基礎構造』ということのウエイトが大きいと思います。
この『心の基礎構造』は一つとして同じものがありません。
そこに表面の感情や考え方、環境、経験でさらに修飾されますので、まさしく人の心は様々です。
抜きたくない感情#2に続く
2007年06月19日
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