
19世紀の終わりから20世紀の初頭、ベルエポックの時代に生きたフランスの写真家
最初は役者を目指し,地方回りの旅役者生活を続けるが挫折。
次に画家を目指すがさらに挫折。
1892年頃にパリで写真を撮り始める。
最初は人物が登場するが

次第にこのような写真に変わっていく。
彼は日の出とともに旧式の箱型カメラを担いで、無人のパリの街を撮り続ける。
当初はカフェにたむろする芸術家に、絵の資料として食事一回分の代金で自分の写真を売っていた。
ユトリロもその顧客であったと言われる。
重たいカメラを担ぎながら、パリの街を浮浪者のごとく徘徊するアッジェには、いつもぴったりと寄り添う野良犬の姿があった。子供のいないアッジェは、犬を我が子のように愛したという。
そして8千枚にものぼるガラスのネガを残し、近代写真の父と呼ばれる。
彼の撮影した作品の多くは、死後発掘公表された。
フランス第三共和政下のパリの様子をとどめた貴重な記録であり、都市風景を撮影する手本として評価された。
日本の写真家が街中でアジェするというとき、彼の功績を念頭に置いているといえる。
マン・レイは彼の写真を評価し、自分の発行する雑誌の表紙に彼の写真を使うが、アッジェは自分の名前を出すことを頑なに拒んだ。

「これは単なる資料に過ぎませんから。」
死ぬ間際、彼は力を振り絞りアパートのドアを開け
「俺は今から死ぬ。」
と叫んだと言う。
誠に不思議な人物だ。
自分の心のままに生きた、静かな静かな生涯であったのだろう。
いつの間にか日本人が忘れた「人の生き方」を考えさせてくれる。
常に上昇をしないといけないことはない。
心のままに生きることがなぜいけないのか?
方向は一つではないはずだ。
アッジェが撮ったパリの街角は、百年経っても同じ風景の場所が数多くある。
ある有名な東京のコンサルタントが、こう言っていたのを思い出す。
「丸岡先生。
京都が他の場所となぜ違うかわかるか?
商売をしていたら、他のところなら百年経ったらつぶれるか大きくなるかしている。
京都がすごいところは、百年経っても、百年前と同じ店で、同じように商売をしているところなんだよ。」
それが老舗なんだろう。
無理なことはせず、無謀なことはもちろんせず、お客を裏切らず、分をわきまえて堅実に生きていく姿勢。
それは進歩がないということでは決してないはず。
人でいっぱいになった京都を見ながらそんなことを考えていた休みだった。
でも休みに飽きた。
あーーー。働きたい。(笑)
エキスポランドで、事故の2日前に、風神雷神Uの脱線したあの2両目に乗っていた私でした。
「君子危うきに近寄らず。」も大事かも?


