
ひろ さちやさんのことはご存知でしょうか?
東京大学印度哲学科卒業で、仏教を中心に宗教の考え方をわかりやすく解説され、特に、それを生活の中でどのように生かしていくかを書かれています。
著書は400冊以上で、どの本もわかりやすく(と言うことはまあ「気楽に生きなさい」と言うことなのです)、私も何冊か読んでいたのですが、今回出版された新刊の『「狂い」のすすめ」の内容を備忘録として・・・
(ツギハギですので、ご注意を)
『「狂い」のすすめ』
現代の日本の社会は狂っています。
こんな狂った社会で、社会が考えるまともな生活をしてはいけません。こんな社会でまともな人間になれば、われわれは奴隷になってしまいます。
だから狂いましょうよ。
狂うことによって、わたしたちは本当の人間らしい生き方ができるのです。

”人生の危機”といった言葉にいささか引っ掛かりを感じたのです。
というのは、わたし自身が”人生の危機”といった言葉で、病気をしたり、会社を首になったり、大学受験に失敗したり、破産をするといったようなことを考えたのです。
でも、それらは「生活の危機」であって、「人生の危機」ではありません。
わたしが言いたいのは、意識の問題です。
世間に隷属して生きようとする奴隷根性が問題です。
世の中の役に立つ人間になろうとする、その卑属な意識がいけません。
わたしたちが「生き甲斐」を持とうとしたとき、わたしたちは世間の奴隷にされてしまうのです。
われわれが病気をします。
すると医師や薬剤師が儲かる。
彼らは病人のおかげで生活ができるのだから、われわれが病気になることによって彼らを生かしてやっているのです。
われわれが死ねば、葬儀屋さんが儲かります。
世の中の役に立たない人間なんて、誰一人いませんよ。
わたしたちは世間から押し付けられる「生き甲斐」なんて持つ必要はありません。
持つと、われわれは世間の奴隷になってしまいます。

「人生は無意味なんだ」
わたしは友人たちに、そのように主張し続けました。
そのうちにうまい言い方を考案しました。
それは人間は、----ついでに生きている----という言葉です。わたしたちはたまたま人間に生まれてきて、生まれてきたついでに生きているだけだ。
別段、それ以上の意味なんてない。
わたしは開き直ったかたちで、そのように主張しました。
人生に意味があり、目的があるとすれば、わたしたちはその目的に向かってまっしぐらに驀進したくなります。
そうすると競走馬的人生になってしまいませんか。
偉大な芸術家になることが人生の目的だとして、ではだれが偉大な芸術家ですか?
一号何百万円もする日本画家と、生きている間は売れなかったポール・ゴーギャンと、どちらが偉大な芸術家ですか?
もしも「人生の意味」を論じるのであれば、あらゆる人間に通じるものでなければなりません。
百八歳まで生きた老婆と、たった三日間しか生きなかった赤ん坊と、その両者がともに同価値でなければならない。
天皇や皇太子の人生とホームレスの人生とが、同価値であるような「意味」があってこそ、真の「人生の意味」と言えるのです。
だとすると、「無意味」だというのが、真の「人生の意味」なんです。
ラテン語に----carpe diem----という言葉があります。
これは、「今日を楽しめ」という意味。
古代ローマの抒情詩人・諷刺詩人のホラティウスの言葉です。わたしたちはいつだって「今日」「現在」を生きているのです。
その「現在」を楽しむのが最高の生き方です。
苦しみを楽しむことができれば、あなたの人生はすばらしい人生になります。
それが「現在」を楽しむことです。

ここから丸岡
たくさんの本を読んできました。
人生や、仕事や・・・いろいろなことに迷ったり、悩んだりしたときに。
でもその解決策はただ一つだったと思います。
「思い悩むな」
「いい本だな」と思った本の結論はすべてこれだったように思います。
でもそれが難しい?
そうですね。
難しいかもしれません。
でも思い悩んでいる自分を、思い悩まなければいいのです。
ただそれでけです。
今の社会では何かすること、何か考えることにのみ意味があると考えられているように思えます。
何もしないことは罪悪であるように・・・・・
だから定年を迎える多くの団塊の世代は、着々と「蕎麦打ち」を始めているのでは?(笑)
今の時代は、「あるがまま」が「狂う」という意味になってしまうのではないでしょうか?

明日のことまで思い悩むな。
明日のことは明日自らが思い悩む。
その日の苦労は、その日だけで十分である。
マタイ6章34
続きはまた来週


