2007年04月04日

万波先生のこと

 
私がいつも見るブログに、「柳田充弘の休憩時間」というブログがあります。
柳田先生は京都大学元教授。
そこに、現在よく報道されている万波医師に関して、こんな記事がエントリーされていました。
少し長いですが、一部を掲載させていただきます。

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記事は「病腎移植の芽を残したい、病理医・堤寛さんがつづった手紙」と題するもので、藤田保健衛生大学堤教授は、この問題の調査をするために派遣された専門委員会(6人)のひとりで万波医師の医療を綿密に調査した方です。

堤教授が見た万波医師の実像は、調査前に持っていたイメージと違うものだった。
万波医師の患者に向かう姿勢に深い共感を持っております。『すごい人がいる』が私の実感です。彼は患者に寄り添っています。よほどの自信と信頼がなければできないことです

病腎移植を受けた患者の多くが、親族からの生体腎移植を受けた後に病気を再発し、しかも通常移植より高齢で、病腎以外にドナー(臓器提供者)を得られない 身だったこと。
都会の医療を受けられる経済状態ではなく、透析生活のつらさに耐えられず、移植を強く望んでいたこと。
患者たちの生存率が、年齢や健康状態 のわりには死体腎、生体腎に劣らないこと。
それらの事実に心を動かされ、「患者さんの経済状態を考慮し、最小限の検査で診療したことも痛いほど分かりまし た」とも記している。

ただ、万波医師は病腎移植にあたって倫理審査を行わず、カルテの記録もずさんで、患者やドナーへのインフォームド・コンセント(説明と同意)の手続きを文書化していなかった。これらは、新しい医療を行う上で致命的な誤りというしかなかった。
 
「彼にもう少し欲があれば、科学的志向性が強ければ、まったく違う展開になったでしょう。残念です。でも、それがあの人の人となりなのでしょう」
万波医師は、手を尽くした末の最後の手段としてしか病腎の摘出を選択しなかったと堤教授は確信している。だが、専門委は万波医師に、質問に答える以外は発言を許さず、「教科書にない」「記録がない」などの理由で主張を退けた。
万波医師は確かに日本の移植医療のルールを無視した。だが、「患者さんのためだけを思い、名誉欲などみじんもない医者をいじめてどうするのか」。

わたくしは、この堤教授の手紙に感動しました。かれの意見は専門委員会ではまったく無視されたようですが、医学と医療のあいだにある、いろんなことが見えるし、医師万波氏の献身的な姿もこの手紙から伝わってきます。
かれの卓抜にして新規性の高い医療は医学界にはまったく認められない点でも大変興味が深い。

わたくしは、間違いなく歴史の審判は万波氏を断罪するものにはならないとおもいます。
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柳田先生は、以前から万波医師には好意的でした。
私は、万波医師がテレビで報道され始めた当初は、いつもよれよれのシャツを着て、朴訥としゃべっておられる姿を見て、「なんか、変わった先生だなー」と思っていました。

でもいろいろな報道を見ているうちに、万波先生は
・事実そのままを述べて、逃げも隠れもしなかったこと
・まったく欲がなく、患者のことのみを心配していたこと
・患者が誰一人先生を非難せず、反対に支援したこと
・法的な問題に発展する様子が見られないこと
であることに気づきました。

で、今回のこの柳田先生のエントリーを読んで、すべての疑問が解けたように感じます。

とにかく、万波先生は患者の生活のことのみを考えておられたのでしょう。
先生にとっては、生活全てが治療であり、患者と向き合うことであったのだと思います。
「カルテがずさんだった」こともわかります。
確かにカルテを書くことは重要です。
でも命がかかっている治療に駆けずり回っているときに、そこまで手が回っていなかったというのが、本当のところではないでしょうか?
そこまで完璧を求められたら、もう寝る間もなくなります。
患者への説明と同意を文書化していなかったことも問題になっていますが、先生は説明自体はされていたようですね。
ただ、それを文書にしていなかったということですが、信頼関係があれば、それは大きな問題ではないのかもしれません。

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宇和島徳洲会病院は26日、万波誠医師が執刀した病気腎移植について、移植を受けた患者のうち2人は、病気の腎臓と説明されたが病名は聞かされていなかったとの調査結果を明らかにした。

記者会見した貞島博通院長らによると、摘出4件と移植11件について、臓器提供者と患者の双方から聞き取り調査をした。病名を聞いていない2人も「万波先生を信頼しており問題はない」と話したといい、「法律的には説明、同意があったと判断される」としている。
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医者の仕事は、大きな手術が成功すれば終わりではありません。
治療の半分はそれから始まると言ってもいいでしょう。
私も大きな処置や、インプラントの手術をした後、そのときは成功したとわかっていても、やはり心配でたまりません。
人間の体ですので、どんな意外な反応が起こるかわからないからです。
ですので、そんな治療のあった夜は、お酒を飲みませんし、携帯電話も放しません。
「ああ。終わった〜。まあ、ビールでも一杯」と言うわけにはいかないのです。
万波先生は、ほとんどの時間を病院で過ごされているのではないでしょうか?
なので、いつもよれよれのシャツなんだと推察しているのですが。

確かにルールは大事です。
それを「まあ。いいやん」と全て蔑ろにするつもりはありませんが、万波先生は本当の「おいしゃさん」だったのでしょう。
一昔前であれば、片田舎で真剣に患者を救う医師として「名医」であれたのでしょうが、この時代です。

マスコミ、ネットで一方的に情報が流れだせば、個人ではどうすることもできません。
マスコミ、法律、ルールが全て「正義の味方」ではないことは、やっと理解されだしていますが、しかし、まだまだ充分ではないようですね。

この記事を読まれたら、万波先生のことがもっとよくわかるかもしれません。
印象的なのが、
「でももし、移植せなんだら死ぬという人がいて、(移植に使える)病気腎があれば? やっぱりそれはやります。やらんといかん。病院クビになってもいいから。倫理がどうと言われようが、犯罪になろうが」
の部分です。
プーコさんからいただいたコメントにあるように、移植を受けた患者様にとって、万波先生は世界でただ一人の医者だったのでしょうし、その患者は万波先生にとってもかけがえのないただ一人の患者だったのですね。

私は「立派な」医者であるよりも、こんな医者でありたいと思います。

最後に宮崎駿監督の言葉

「私は理想のある現実主義者でありたい。
 理想の無い現実主義者がいる。
 私は理想の無い現実主義者になりたくない。」


 

posted by maruoka-yoshimitsu at 11:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 丸岡私見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
賛成
Posted by at 2007年09月08日 11:29
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