2005年04月17日

「父 開高健に学んだこと」開高道子

帯つきの新品のまま本棚の隅に、10年以上あった本。
昨夜風呂上りに本棚を眺めていたら目に付き、手にとって読んだ。
先日開高健について少し書いたので頭の端に残っていたのかも知れない。

開高健の本は高校から大学にかけてほとんど読んだ。
「文豪」というと、私は開高健を一番に思い浮かべるだろう。
膨大な読書量、フィッシング、スコッチ、グルメ、グルマン、シガー、パイプ、旅、戦争・・・
ヘミングウエイのイメージか。
研ぎ澄まされた文体、自然を愛し、人を愛し、美を愛し。
ベトナム戦争にも記者として従軍し、それを深い文学作品に昇華した。
この「輝ける闇」は最高傑作と言う読者も多い。

「フイッシュオン」「オーパ!」など、アマゾン、アラスカ、モンゴルの秘境での釣り紀行はあまりにも有名。
奥さんは詩人の牧羊子、娘はエッセイスト。

開高健の没後、文学碑を建てるときそのための石を選んだが、もう先に買っていた人がいた。
しかし、その人は事情を聞いて、
「開高先生だったら僕の尊敬する唯一の文学者だから、こちらがひきさがろう。」
と言ってゆずることになる。
そういう作家だった。
 
このようなエピソードを開高健の一人娘の道子さんがエッセイにまとめてある。
さすがに、文体、テンポは父親譲りのものを持つ。

「ビデオっちゅうもんはええようであかんなあ。
一日中、アホみたいに自由に観れるのはいいが、観っぱなしになって考え事が出来ん。自由の悦楽は、やっぱり自分で規制していかんと、とどめないわ。」

「先生は文字通り小心肝大の人でした。僕らはそれに頼りっきりだったんだなあ、と今にして有難いことだったと思います。」(アマゾンに同行したスタッフ)

「小説家はやな、ミミック(物まね)の特技を持っとるのや。」

あと、道子さんが工学部に進学すると言ったところ、開高健は1年間書斎に閉じこもり道子さんと口をきかなかった。結果として道子さんは文学部に進学する。

このような開高健の横顔、素顔を垣間見ることができるが、帯に遺稿集と書いてあったのに気が付かなかった。
開高健がなくなった7年後、道子さんは42歳の生涯を閉じたのである。
少し批判めいた感想があるのだが、それはやめておく。

開高健の作品は最近私も読まなくなってしまったし、メディアでも取り上げなくなった。
亡くなる何年か前から、開高健はジンギス・ハンの墓探しに情熱を傾けておられた。
私もそのとき、ジンギス・ハンの墓は見つかっていないことに気づいた。
こんな夢を追い続けた、イラチで愛すべき大阪のおっちゃんだったなあ。
また、ゆっくり読み返してみよう。
posted by maruoka-yoshimitsu at 08:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 丸岡書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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