マスコミの報道より実際に震災を体験をされた方のお話は、身に迫るし心を打つ。
また、仙台で開業されている浄顎堂茶楽斉先生のブログから
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東北関東大震災 激励コメントに感謝 22
今回の津波被害でよくTVに出る地区で開業している義弟(妻の弟)のところにようやく妻が見舞いに出かけた。
義弟は 父親が 亡くなったので 大学勤務をやめて 父の医院を引き継いで内科 呼吸器科を開業している。
見舞いに 行きたくても 車の事情も悪かったのもあるが 噂があまりにもすごくて 心配すぎて現実を見るのが怖くて 今日まで来たようだ。
義弟は首まで水に漬かって患者の避難をしていたのを見たが その後 見てない とか
避難所で泊まり込みで 医療活動をしているのを見た とか
噂が噂をよんで 実態がつかめなかった 連絡が つかめないまま2週間が経ち
ようやく 携帯がつながった。
義弟は 妻に
電話 では「ねーちゃん 心配すんな 生きてるから」とだけしか言わないので なおさら心配がつのっていた。
義弟は 妻にとっては歳のはなれた弟なので 小さい頃は おんぶして可愛がった ので いまでも
可愛くて 親の様に心配しているのだ。
TVに出る 義弟の医院の周辺の景色はすごいもので 妻は 腰が抜けた様になっていた。
実家は もうないんだねーーー としょんぼりしていた。
先日浄がyou tubeを見ていたら その地区を車で撮影した映像が出ていて 結構安全にその地区に入れる様子が出ていたので それを 妻に話したら 元気が出て 見舞いに行ってくる と一人で車で出かけた。その日は妻の母親の命日なのだ。
周辺は映像通りの被害だったが 義弟の医院は床上浸水でかろうじて存在していた。
津波のとき 医院の看護士さんや 隣の薬剤師さん達が 検査機械を守る為に必死で 二階に担ぎ上げたそうだ。
2階で医院の職員 薬局の人と20人で2日間避難して、水が引き始めた後 指定の避難所で2週間いたそうだ。
避難所では 最初は 医者は義弟だけしかいなかったので 避難民となった義弟がそのまま医療活動を
24時間体勢でしていた。薬品は あるだけすべて自分の医院から運び出して 使用したようだ。
食料の何も無い避難所に一番先に物資を届けてくれたのは キリスト教のアメリカ人の宣教師の一団だったそうだ。
避難所でアメリカ人の宣教師が挨拶をしたそうだ
「私が子供の頃 この地で宣教師をしていた両親や私達がこの地の皆さんに大変お世話になりました その恩返しです 何でも 言って下さい お届けします いそいでやってきました」 とトラック3台に援助物資を詰め込んできたのだそうだ。
さらに
「昔私たち宣教師一家を面倒見て下さったのが 今ここで医療活動しているZ先生(義弟)のお父様お母様 おばさま でした。私は Z先生のおばさまに取り上げられて 生まれてきました。そういうわけで
この町のみなさまえへの 恩返しを喜んでさせていただきます」
そして義弟に
「アメリカ軍からの医療物資は可能な限り手に入りますので 次回希望のものいくらでも持参します
私たちは あなたのご両親から受けた ご親切はわすたことがありません ありがとうございました」
この宣教師達の集団は いまでは 幼稚園から高校まで有する大きな団体になっていた そして
そんなこととはつゆ知らず 義弟の娘2人は このキリスト教系高校に在籍していたのだ。
その宣教師達は 在籍しているZと言う生徒は あるとき気づいて あのZ先生の 孫娘に違いない とおもっていたそうだ。
妻が実家の医院に到着すると 親の時代から居る高齢の看護士さん達が出てきて
「先生ーーー おねいちゃんが来てますよーーーー」
妻は 里帰りの気分を味わったようだ。
医院の周りは 患者が黒山のように取り巻いていて とても一人ではさばけないほどの患者が渦巻いてい
たそうだ。
職員 近所の人 患者さん達で 医院の冠水した1階の泥を清掃して 掃除して 機械を2階からおろして 診療を開始した。しかし 医薬品は 避難所で使い果たしていた。
そんなとき あの宣教師の集団に助けられたのだ。
豊富な 医療薬品 器材をを持参してきてくれたのだ。
義弟が 「あの 飲んだくれの親爺のありがたさが 思い知らされている」
と行っていた。
親の徳が 子に帰ってきたのだ。
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震災当初、この浄先生にお見舞いのコメントをさせていただこうかと思ったのだが、何と書いていいのかわからずできなかった。
先週コメントをさせていただいたところ、
「元気で復活の道を歩んでいます でも 患者さんが被災して来院できない 医院を開いていても 患者さんが来ない 歯科医院は経営難が 始まっています。」
とのお返事をいただいた。
私にできることは何かないかと思ってしまう。
被災地の方々、先生方どうぞお体を大切にしてください。
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